意識高い系社畜が会社をやめてからの記録

思考、感情、こころの、点と点をつなぎ、本当の自分へ還る方法を探します。

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不安で前に進めないと思った時に

アメブロを更新し始めて、
そちらで手一杯になってしまってます。
よろしかったら、こちらもご覧ください。
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感性のきらめきとか、
溢れる感情とか、
輝くオーラとか


皆無!!


偏屈で理屈っぽい思考型のわたくしが、
どうしてカウンセラーなんてのを
目指してしまったのか。
って話を書いてます。


こちらも更新したいのだけど、
ボチボチ頑張ります。

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「不安で前に進むことが出来ない。」


という話を立て続けに伺ったので、
ちょっと自分を振り返って、
掘り下げたいと思います。


不安。
まぁ、不安って漠然としてますよね。


大抵は、まだ見ぬ未来の心配を集めては
不安だ~心配だ~と言ってるわけで、
その不安に、根拠も理由もなかったりします。


根拠や理由がある場合は、
それを回避したり無くしたりすることで
先に進めるわけですから、


不安の棚卸をしたことがない人は、
一旦、自分の心配している項目はなにか、
書き出してみることをおすすめします。


さて、根拠のない不安をどうするか。


根拠がないなら、対処しようがない!
だから、
それを抱えたままダイブするしかない!
って強者の理論もあります。


ですが、
それが出来ないから困ってるんです。
なんででしょ?





ちょっと、考えてみてくださいね。





私の場合をお伝えしますね、


不安の中身って、
予測がつかないんです。


その不安が、病気やケガなのか。
お金が無くなることなのか、
それとも自分が孤独な人生を
歩まなければならないことなのか
先の事なので具体的には分からないんです。


具体的に何があるかはわからない。
けど、この先生きていくと何かが起こるはず。
これだけは、分かる。


それが例えば、結婚なのか離婚なのか。
転職なのか、独立起業なのか。
交通事故なのか、宝くじに当たる!なのか。


予測がつかない事が、なにかある。
そう勝手に判断して、勝手に不安になってるんです。


そして、不安になるということは、
「何か予測がつかない事があったときに、
自分では対処できないんじゃないか?」


そんな思いが、根柢にあったのです。


いまをキープしておけば、
なんとか生きていける。
でも、新たな知らない世界に出て行って
何か予測がつかない事があった時、


自分には、何も出来ないんじゃないか。
私は、無力なままなのではないか。


また、私は何も出来ずに、
涙を飲んで敗退するのではないか?


あー、これだこれ。
みつけたこれ。


なすすべもなく不幸になるのを見守る
んじゃないかビリーフ
です!


そう、これから起きる
現実に太刀打ちできない自分
そう信じてしまってたのですね。


これって、つまり、
私は必ず対処できる!
自分ならできる!
と、自分の力を信じられてない
ってこと。


つまり
「自信がない」んですわ。


私のブログタイトル、
「信じる勇気をとりもどす旅」
実は、これに由来してます。


不安や心配がたくさん出て来て
前に進めない。


そんな時、不安の後ろには、
心細くて怖くて震えてる自分が隠れてます。


でも、その不安で震えてる自分が
必死に腕に抱えて守っているものは、
自分がこの世を生き抜く力。


キラキラと輝く、
その人の大切な本質だったりします。


どうか、今は不安だったとしても、
この人生を切り抜ける力が、
必ず自分にあるということを、
信じて欲しい。


いまは、そっと
不安なんだな、怖いんだな。
という自分を責めないで、
身体と頭を休めて、
自分とつながる時間を取って欲しいのです。



こちらもどうぞー。

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自己肯定感は上がりません!

とあるサイトを読んでいて
「自己肯定感をあげるために」
という記事に目が行きました。

2017/04/25 blog photo by horie sanae


こういう記事を書いているということは、
まさに自分が、自己肯定感が低かったから
なんですが、


自己肯定感は上がりません!


ですので、
「自己肯定感が低い」
そう思った時に、


「低いんだから高くしなきゃ!」
と思ってしまうと
方法を間違ってしまうのですね。


もう一回言います、
自己肯定感は上がるもんじゃありません!


さて、


似たような言葉に
自己認識、自己効力感、自己信頼感
などがあります。


先に、自己効力感、自己信頼感について
むっちゃ簡単に言うと、


①自己効力感は、
「自分は○○できる!」と思えること。


②自己信頼感は、
「自分は信頼できる!」と思えること。


では、
③自己肯定感。
「自分を肯定できる!」ですよね?


この「肯定」とは。


辞書を引くと
 ・その通りだと判断し認めること
 ・価値があると認めること。
などと出てきます。


「そのままでいて価値がある」
「ありのままでOK」


この感覚が自己肯定感です。


言い換えると
「理由のない自信」
「根拠のない大丈夫感」
です。


理由がないんです。
根拠がないんです。


だから、上げるのはとても難しいんです。


先に出た
①自己効力感は、
「自分は○○できる!」と思えること。


ですので、小さな成功体験を
積み上げていくことで育っていきます。


また、
②自己信頼感は、
「自分は信頼できる!」と思えること。


こちらも
信頼できる人である判断や言動を
積み重ねていくことで育っていきます。


さて、本題はここからです。


小さな成功体験や
信頼に足る判断や言動が、出来なかった時


あー、できなかったなぁ。


ここで出てくるのが
自己肯定感です。


ミスしちゃった…
 あー、また失敗しちゃった...
遅刻しちゃった...
 やっぱり私はダメな人...


となってしまうのが、
自己肯定感の低いひとです。


ミスしちゃった…
 頑張って次はミスしない!
 次はもっといいものを出せる!
遅刻しちゃった...
 でも彼に嫌われはしない!
 誠意を見せて謝れば大丈夫!


ミスしてるし、遅刻してるんです。
でも、出来なくても「よし!」と言える。
それが自己肯定感なの。


出来なくても失敗しても、
「そんな自分って素晴らしい!」


そう思えれば、
めっちゃ自己肯定感高いわけです。


お花畑脳め!
少し凹めよ!って思いませんでした?


その「凹めよ!」
って思ったのがセルフジャッジ。


このセルフジャッジ(良し悪しの判断)
こそが、自己肯定感を低くしているんです。


自分にダメ出ししてるわけですから。


失敗したときに
私は以下の方法をおすすめします。


 ・客観的に俯瞰して見る。


ミスしても遅刻しても
「そっか、ミスしたな。遅刻したな。」
と客観的に(他人事として)みる。


ミスしたから私はダメな人。あぁこんなに迷惑をかけてしまって申し訳ないやら恥ずかしいやらもうお家に帰ってバスタブの底に沈みたい。
と、人は一瞬で事実に感情をくっつけたがるのですが、


「ミスしたという事実」

「だから私はダメな人という判断」

全く別の話。


違うことをくっつけない。


この申し訳ないやら恥ずかしいやら
という感情はわーっと沸き上がってしまうと
それに飲まれてしまいがちなのですが、


そこを、ちょっと抑えて
申し訳ないと思ってるな、自分。
恥ずかしいと思ってるな、自分。


と、離れてみる。


「ミスしたという事実」
でも
「私という価値には影響ない」


人は過ちを犯します。
間違うし、抜けてるし、できないし、
ダメダメなもんです。


そんなもんです。
それでも、仕方ないなー。
ま、いっか。


そう思えたとき、
あなたの自己肯定感は少し戻ってきているはず。


ダメな自分をダメとしない。
これが、自己肯定感を回復させるヒントです。


あなたは、あなた。
どんなあなたも、切り離さずに
一緒に居てあげてくださいね。



~聞きたい、言いたい、などこちらからどうぞ~

自分の気持ちなんて、言っちゃダメだと思ってた

たまに、半世紀昔の恋愛話を書いてみます。
黒歴史的遺産も日に晒せば糧になるかも。

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私はずっとずっと、同じパターンでの失敗を繰り返していました。


寂しいとか、1人で居たくないとか、
して欲しいことを素直に言えない

その辺察してくれよ!と思いつつ

案の定やってもらえずに

どうせ私は捨てられるんだよね!

なにを望んでもムダ!

もうこんな思いをするなら1人がいい!


って、別れるわけなんですが、本心は違うんですよ。本心はただ受け止めて欲しい。


でも、ありのままの自分なんて、受け止めて貰えるなんて思ってないから、怖くて素直な気持ちなんて言えなかった(もう信じ込みだらけだよね)。


なんでこうなっちゃうかなー。
なんでこんな、分かってくれない人ばっか選んじゃうのかなー。


そして、分かってくれない人が段々と増えていつの間にか、多数決取ったら私の方が負ける側になっちゃった。


はて?
ひょっとしたら、原因は私にあるのー?
私の考え方が間違ってるのー?


そして、恐る恐る聞いてみました。
いま、私はなんて思ってると思う?


「え、わかんない。おれ、何かした?」
「だよねー!!」


わかるわけないじゃんね。
でもずっと、何も言わなくてもわかって欲しいと思ってたしー!!


そっか、わかんないんだ!分かんなくてもいいんだ!これ、けっこうビックリしました。
言ってないんだもん分かるわけないんだけど、
当たり前なんだけど!!
わかんなくても良かったんだー!!


「どうしたの?なにかして欲しいの?
言わなきゃわからないよ。」


えっ!?えっ!?
自分のして欲しいことって、言っていいの!?


いや、言えよ。普通に。
って思った方もいらっしゃると思うのですが、こじらせてるって、こうなんですよ!


これ、一大決心です。
もちろん、彼もドン引きです。


でも、自分が感じていた寂しさや、また私は置いていかれるー、という怖さについて、生まれて初めて
話すことができました。


その怖さに直面出来ず、別れを選んできたことや、その恐怖が、なにをしてもなくならないこと、なにをしても埋められない穴が、心のどこかにあること。


そして、その気持ちを正面から受け止めてくれたその人の関わり方によって、私のこころは大きく癒されました(ま、別れたんですけど)。


「自分の気持ちなんて、言っちゃダメだと思ってた...」


自分の気持ちなんて、言わないと分からない。
こんな単純なこと、私は大人になって初めて知ったのでした。


なんでわかってくれないの?
って思う人ね、自分が一生懸命わかってあげようとした人なんだね。


きっとそれは、まだあなたが子どものとき。
周りの表情を読んで、他人の気持ちを先回りして汲み取ってあげてたんだよね。
苦心して苦労して、みんなのこころが穏やかであるように、こころを砕いてきたんだね。


こんなに、こんなに
他人の気持ちに配慮して、表情を伺って。
自分の気持ちなんか、なくなってしまうくらいに。


だから、私を好きになってくれたなら、
あなたもそうしてくれるでしょ?
だって、それが大事にするって、愛するって事なんでしょう?
そう、思っているのかもしれないね。


なんて健気な優しい子どもだったのだろう。
あなたも、その子の愛の深さと大きさに圧倒されるはず。


でもね、そこにいるその子に気がついたら、もう大丈夫。


あなた自身の気持ちは、大切なものだから。
誰よりも、あなたが大事にしてあげて。
寂しいも、悲しいも、あなたの心の一部であることに、変わりはないよ。


そして、つらい時には、周りの人に言ったって大丈夫なんだよ。
少しづつ、自分の世界を温かく満たしていこうね。



~聞きたい、言いたい、などこちらからどうぞ~

前に進む勇気は「死を覚悟する」勇気に通じる

すごいタイトルになってしまった…
自分でも引くよねー。


「勇気」
先日の記事でも書きましたが、
このブログのテーマでもあります。

dotzdotz.hateblo.jp

うん、前に進むって
やっぱり勇気なんだよね。

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このブログの裏テーマは
「自分にやさしく」ですので、
あまり辛辣な言葉や厳しいことを
表現したくない気持ちもあるのですが…


モノには両面があります。
例えば、


多くの人は自由を求めます。
自らの手で、自分の運命を決めたい。
それは、人の根源的な欲求であると、
長い歴史が教えてくれます。


しかしながらまた歴史は、
自由を求めた時、その代償として
多くの血が流されてきたことも教えてくれます。


そして得た自由には、
決定権という重い責任があります。


翼を得て墜落するイカロスのように
自由には死に対する責任が常につきまとうのです。
それも「自由」が内包する側面です。


最悪、
自由を選び、そのために死ぬかもしれない。


それでも自由を選びますか?
そう問われていると、本能的に知っているのかもしれない。


死の恐怖を恐れながらも一歩を踏み出すか、
不自由でも安全圏内で生活するか。


極論、死と対決する勇気が、
前に進む勇気なんだと、私は考えています。


そんなわけなので、
「前に進む」を目的としたときに、
やわやわでゆるゆるの、ふわふわした言葉では、
表現できないことはあるのです。


それは、今までの自分と決別することだったり、
未知の世界へ踏み出すことだったりします。


具体的に言うと、
親や家族からの心理的な訣別だったり、
安定した企業をやめて一文無しで外国に行く
ようなことだったりするんです。


今までいた自分の世界を、
根底からひっくり返すくらいの行動が必要だから。
それは「死を覚悟する」に等しい勇気なのです。


だから、こんな自分いやだな。
どうしても、止められないな。


それは、とても自然なこと。
あなただけでもないし、みんなそうです。
もちろん、わたしも。


それを出来ない。
と感じてしまうのは仕方がない。


では、どうするか。


なぜ、前に進めないのか。
なぜ、新しい世界へ飛び込めないのか。


その裏側にある感情を探っていくことが
鍵になります。


進めない!出来ない!
  ↓
なぜ?なぜ?
  ↓
ダメな私、ダメな私!


というループから抜け出すことが大事。
抜け出すためには、いったん離れることです。


進めない!出来ない!
  ↓
深呼吸
  ↓
いま、進みたくない気持ちなんだねー。


って、
ちょっと、自分の気持ちさんと
距離を取ってみてね。


そうしたら、
自分のお気に入りの写真を見たり
好きな音楽を聴いたり、子どもと遊んだり、
自分が心から楽しいと思うことを許してあげて。


えっ、忘れちゃっていいの?
って思った?


いいんです。
だって「今進みたくない。」って気持ちに気がついたんだから。
それでいいんだよ。


死と対決する勇気
ってね、「死なないから大丈夫」
って腹の底から感じられる、ってことでもあるんだよね。


「死ぬかも!」
「いや!でも大丈夫!」
それもまた「勇気」の持つ両面かなと思っています。


~聞きたい、言いたい、などこちらからどうぞ~

自分を大切に扱うための〈魔法〉

前回この記事を書きました。
〈魔法〉って書いたけど魔法ではないです。
この、魔法についてもうちょっと書きます。

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自分を縛っている過去の記憶、
忘れられない言葉、
不自由にしている思い込み。


そんなものを、
コツコツと10年ほど捨てては拾い、
また捨てては選び直す。
という作業をしてきました。

2017/04/06 blog photo by horie sanae


でもやっぱり、自分では気がつけなかった
自分の根っこにある思い。
これを、ひっこ抜いてもらったことで
相当楽になったんです。


では、即座に他人(カウンセラーさんとか
セラピストさん)に頼った方がいいのかというと、
私はあんまりそう思って無いのです。


目を背けたくて仕方がない、
出来れば開けたくないパンドラの箱
(自分の忌まわしい部分)に、
自らすすんで手をかける勇気。


これが、一番私に必要だったものだから。


この勇気を手にせず、他人に頼っていたら、
きっと今の、自由さや優しさの中には、
いられなかっただろうな、と思うので。


それは
自分で選び取った、つかみ取ったもの。
誰に与えられたものでなく、
自ら心の底から欲して、手を伸ばした結果、
腑に落ちたものだから。


何がしたいかわからない、
  どう生きていきたいのか、
    幸せってどういうことなのか、
      わからなかった私が!!


苦しんでもつらくても、
どうしても手に入れたいと
心の底から願ったもの。


それは、
実はもう、全部手にしていた。


それに気がついたときには、
ひとりで大爆笑。


アクション映画で、戦いが終わったあと
主人公が笑うシーン、アレですアレ!


生きるのが苦しい!つらい!
なにやってたんだ、私は!
そんなふりしてただけかいっ!


ひとり芝居かいっ!!


でもね、
なにもしなくてもそれが手に入ったのかというと
やっぱり、そうではなくて…


沢山の社会や世間の洗脳を
全部、自分視点に置き換える作業を
地道に続けた結果なんです。


このブログも続けて一年になりますが、
ずっと価値観を見直すという記事を書いてきました。
思い込みに気がつくカテゴリは、およそ価値観について書いています)。

こんな記事とか

dotzdotz.hateblo.jp

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私の変容に必要だったものは、
パンドラの箱を開ける勇気
そして、自分の根っこを支える価値観を捨てる勇気。


どっちも勇気が要ることだった。
だって、自分の人生ずっとそれで支えてきてたんだもん。
パンドラの箱はまた次回書くとして、


自分の根っこを支える価値観を捨てる勇気。


これ、これが、昨日の記事で言う〈魔法〉です。


ちょうど一年前。
仕事やめて専業主婦になったんです。


専業主婦なんて体の良い言葉で、
プーですプー。


私の中には、
仕事で社会に貢献していなければならぬ!とか、
夫の稼ぎをあてにせずとも生きていける女でなくてはならぬ!とか
まんま母親から受け継いだ「思い込み」
という価値観が無意識下でフル稼働しておりましたんで、


辞めたけど(!)辞めるのむっちゃ怖い。
家に居ても何かしてないと落ち着かないから、
なんか作ったり、こまごまと動く動く。


だって、その思い込みの後ろには、
社会に貢献できぬお前はダメ人間だ!とか、
夫の稼ぎをあてにしていたらいつか捨てられるぞ!とか
そんな脅しが隠れてるんですわ。


ダメになりたくない…捨てられたくない…
その恐怖感に縛られて…奴隷ですわ。


こんな記事もあるよ

dotzdotz.hateblo.jp

でも、ダメ人間でもいい!捨てられてもいい!
もう私の人生これまでだ!と、その思い込みを捨てたら…


びっくりするほど、なんもなかったんです。


夫はいつにも増して優しい。
春先だから温かくしてね、とか
お小遣い大丈夫?とか言ってくれちゃったり。


めっちゃ怒られるんじゃないかと思ってた母親も、
なんか、大丈夫なの?とかって優しい。
(これは後に「いじめられて仕事をやめた可哀想な娘」
と思ってたことが判明)。


誰も責めないし、誰も怒らなかった。
まったくの思い込みだった…。


その後、母と話をして、母も同じ思い込みがあること、
人は所詮一人なのよ!とか人は孤独なものなのよ!
とか切ない思い込みがたくさんあることなどを発見。


そんな風に気がついてからは、
ひとつひとつの思い込みの、その裏にある愛を感じては
手放すことができるようになった。


私自身が、思い込みの鎧を外していけばいくほど、
なんかビックリするんだけど、周りの人がみんな優しくなった。


今まで自分で生きていくのじゃー!って
頑張ってた時には全くなかったことなんだけど、
疲れてない?風邪ひいてない?なんて言葉をかけてもらったり
道を教えたお礼にお茶をご馳走になったり。


そして、あれから無事に一年経つのですが、
いま、一年前と何も変わらずプー太郎です。
掃除してご飯を作る、それだけの毎日。


でも、見える世界が全く違う。
ただ、朝起きて無事に生きてることに感謝できる。

だって、稼げないぷーたろ、
周りの方々に生かして頂いている。


それでもなぜか、一年前は全く想像していなかった、
川沿いに桜の咲く美しい街に住んで、


ただブログを書いて好きなことを学ぶ、
それだけがこんなに楽しいなんて。


でもね、実はずっとやってきたことでもある。
ずっと、ブログは書いてたし、
ずっと、本読むのも好きだったし、
ずっと、人の話聞くのも好きだった。


ただ、それを許可してなかっただけ。
そのまま、そこで生きているだけで大丈夫だったって。
好きなことを好きにする自由を、自分に与えてなかっただけ。


だから、


自分はそれに値しないと無下に否定しないで。
そんな呪いをきっぱりと否定し、
自分を自由にすることを許す勇気を、
どうかあなたの手元に取り戻してください。


と書きつつも、最初からそんな勇気持てたら苦労せんわ!
と思う自分も居るので、その話はまた次回に。
(という先送り人生)



~聞きたい、言いたい、などこちらからどうぞ~


「自分を大切に扱っていない自分」に気がついたとき

このまま、この会社でやっていけるのかな。
ある日ふと不安になった。
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頼れる相手がいない上に、
理不尽に降りてくる司令と、
根拠のないノルマ。


日々技術は変わっていくのに
自分の勉強に投資できない。


取り残されたくない、
けど、この技術変化の激しい業界で、
いつまでやっていけるのかな。


みんなが焦って、
みんながちょっとづつイラついていた。


少しでもいい給料で、
少しでもいい条件で働けたら、
それでよかった。


それなりに評価もされていたし、
いい仕事も少しはできた。


それなりに仲の良い友達もいたし、
彼氏と飲んだり遊んだり、
そこそこ楽しい生活だった。


でも、どこか
ずっと満たされることなく、
このままじゃダメだって、
ひっそりと焦り続けていた。


やりたいことがわからない。
楽しいことがわからない。
なんのために生きてるかわからない。


このまま、死んでいくのかな?
そんなのいやだ。
猛烈に悲しくなった。


せっかく生まれてきたのに、
なんのために生きてるか
わからないまま死んでいくなんて!
わたし、可哀想すぎるよ!




これ、10年前の私です。


ずっと、本気で楽しい!と思うものや
ずっとこれをやっていたい!
というものが見つけられなくて、
なんでかなーと探しあぐねていた先に
見つけたのは、


「自分を大切に扱っていない自分」


でした。
元々わがままを言わないように
感情を飲み込んできた自分。


その後の社会生活でも、
その考え方、やり方が抜けなかった。


自分を大切に扱っていない自分に気がついたとき、
そんな生き方が心底イヤになったのよ。


仕事は出来たほうがいいし、
頑張れるものがあるっていいよね。
いまなら素直にそう思えるよ。


でも、
その頑張りは、自分が心底楽しいって思える
事に向けてあげたいよね。


社会や他人に嫌われることを恐れて
しがみついてることだったり、


お金の不安にがんじがらめで
やりたくもない事やってるとかじゃなく!


誰のために…
なんのために頑張ってるの…私の人生なのに。
そんな風に思った。


そこから、ひとつづつ自分に聞いてみることにした。
朝履く靴。
次に買う紅茶。
いま続けてる仕事。


本当にこれが好きかな?
本当にこれが欲しいかな?
って聞きながら。


安くて買ったIKEAの家具、
無難で合わせやすいグレーのコート、
仕事のためのスーツや、間に合わせの流行のシャツ、
そんなものを全部捨てた。


残ったのは、
安いけど気に入ってるタイのグラスや、
民族調のバレエシューズ。
合わせにくいし履きにくいルブタンのシューズに、
大学卒業の時に母に買ってもらった
トラサルディのスカーフ。
そして、本当に会いたいと心から思える友人たち。


どうか、昔の自分の常識や、
世間のいう当たり前なんて言葉で
自分を制限することを許さないで。


もっと、あなたは自由で、
もっと、あなたは高く飛べる。


やりたくないことを、
やりたくないと言う勇気を自分に与え、

やりたいことを、
直視する勇気を自分に与えてください。


その勇気こそが、
自分を大切に扱うことができるための〈魔法〉なんだから。


こちらの記事もどうぞー
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