意識高い系社畜が会社をやめてからの記録

思考、感情、こころの、点と点をつなぎ、本当の自分へ還る方法を探します。

傷ついたら「心」も手当が必要なの

昨日、冷え性のような
些細な症状でも
それを我慢せずに
治すよう心掛けてほしい。

という記事を書いたのです。
→「冷え性」も「しんどい」も放置しないでね

2017/01/20 blog photo by horie sanae

小さい症状も度重なると
大きな症状の引き金となったり、

それを放置することで、
大きな症状の原因と
なってしまうことがあるから。

わたしは、
心も同じことがいえると
考えています。

心は、ささいなことでも
傷ついたりするんです。

それはどんなに練習を積んで
体を鍛えたアスリートであっても、
同じこと。

小さなミスから
心のバランスを崩し
順位を下げていく

そんな、悲しいシーン
見たことありますよね。

そんなとき、
「心」についても手当が必要
であることが分かります。

でも、心については、
気を抜いたからだ、とか、
甘えがあったからだ、とか。

なぜか、
精神論で片付けよう
としてしまうのが、
今の世界です。

普通に生きている誰もが
小さな傷をたくさん
抱えて生きている。

無理やり抑え込んで
なかったことにしてしまった
わたしのような人もいる。

失敗、孤独、拒絶。
それらは、いとも簡単に
人の心を傷つけるのですが、

大抵の人は適切に処置をせず
なかったことにして

ぱたん。

と、フタをしてしまう。

感情のどこかにフタをして
その傷を閉じ込めてしまう。

閉じ込められた、よかったね。
万事OK!そう思った?

そのまま突っ走れる体力が
ある人もいるんだけど、

どうも、四十超えると
それが難しくてですね(笑

心のいろんなところが
上手に機能してないことに
気がついちゃったりして。

フタをしていても
癒えてはいないのですよ。

だから、フタをせず
傷をきちんと認めてあげて。

悲しかったね。
寂しかったね。
怖かったね。
つらかったね。
しんどかったね。

たくさんヨシヨシして
甘えられる人がいたら
さんざん甘えて、
美味しいもの食べて
愚痴でも言って、

そして、ゆっくり
素敵な音楽をかけて
アロマオイルを入れた
温かいお風呂に入って、
美味しいお酒でも飲んで
ぐっすり眠ってください。

傷ついた自分は
決してダメじゃない。

弱い自分だから
ダメな自分だから、
傷ついたわけではないのです。

どうぞ、きちんと
傷の手当てをしてあげてくださいね。

ガイ・ウィンチのTEDもどうぞ。

www.ted.com

「冷え性」も「しんどい」も放置しないでね

ここ最近、
足先が冷えるのよね、
どうやっても治らないのよね。

という話を
数人から聞きました。

2017/01/19 blog photo by horie sanae leaves

冬ですものね、
寒い時期にはよく伺う話です。

でも、
どうやっても治らない
というのは、ちょっと厄介。

私は、北の大地生まれでして、
小学生から冷え性でした。

中学校、高校としもやけが絶えず、
養命酒を飲まされていたような
子供でした。

でも、克服したんですよ、
冷え性

ですので、
どんな対策をしているのか
伺ってみました。

その数人の足冷え対策には、
共通点がありました。

寝るときに靴下を履く。
靴下を重ね履きする。
温かい飲み物を飲む。
お料理にショウガを使う。

ちょっと面白いなと思いました。
足先が冷えるということは、
血行不良なわけです。

ただ単に足先を温めても
すぐに戻ります。
根本的な解決ではないから。

なんか、この話を伺っていて、
似てるの知ってるなー、
という気持ちになりました。

「つらいなー。しんどいなー。」
「苦しいよー。」
「イライラするよー。」

というのを、

いっときの気晴らしをして
気持ちをごまかして
なんとか日々を、
乗り切っていた
20代の頃の自分を、です。

あの頃は、根本的な対策が
わからなかったのですが、
いまなら、わかります。

「つらいなー。しんどいなー。」
の奥に目を向けるの。

さて、
血行不良に速攻で利くのは、
運動なんです。

モモあげやスクワットが
一番簡単に、はやく血行を促進します。

そして、運動は、
毛細血管の発達を促してくれるので、
長い目で見ても効果的。

また、血行不良に
なりやすいという事は、

代謝も悪いし、
筋力が少ない可能性も高い。

そうすると、体温も下がって
色んな病気にかかりやすくなる。
こうなると悪循環ですよね。

「つらいなー。しんどいなー。」
も、
「しんどい」
のが当たり前の状況に
なってしまっていると、
もっと「しんどい」ことが
やってきます。

そこから抜け出すのは
確かに「しんどい」こと
なのかもしれない。

でも、生姜紅茶飲んでても
冷え性はきっと治らないから。

どうして
血行がよくないのか。
その理由を的確に判断する。

ときには、
専門家のアドバイス
必要なことも
あるかもしれないし、

筋トレしたり、
面倒で大変なことも
あるかもしれない。

でもね、
したほうがいいと思うのよ。

「つらいなー。しんどいなー。」

冷え性も、放っておかない方が
いいと思うのよ。

~聞きたい、言いたい、などこちらからどうぞ~

原点回帰とこれから

ご無沙汰しております、ホリエです。

blog photo by horie sanae


新年から半月も過ぎてしまい、
本格的にヤベーことになって参りました。

何がって、試験です。

11月に中間試験があったのですが、
それをなんとか無事に潜り抜けた

と思ったら、
単位認定試験が迫って参りました。

んー、全然授業に追い付いていない…

なんかやたら慌ただしかったけど
なんだっけ…なにしてたっけ…
と、書き出してみました。
書き出して眺めるの大事。

フムフム、そうだよね。
お父さん入院してから
お見舞いも行ったりね。

今年のご不幸はやたら多かったし、
9月からほぼ週末が無かったんだよなぁ…
そして、親族の病気やなんかって
精神的ダメージでかいわ。

…うん、疲れていいよね。
とひとり納得。

自分と夫氏が
風邪ひとつ引かなかった健康体であった
のが、本当にありがたかった。

そして、
年末にお友達と話をしていて、
去年の今ごろはまだOLしてたことを
思い出しました。

そのお友達にも、
昨年の今ごろまだ出会っていない。
でも、きっと深く繋がっている人
と感じられる。

会社の戦友のようなお友達にも、
新しい家族が出来て、
きっと彼女も、一年前とは
全く違う感覚があるんじゃないかな。
でも、やっぱり繋がってるのを感じる。

新しい年になって、
つくづく実感するのは、
生活の環境も、会う人も、感じ方も、
一年前とは変わった。

いろんな関係性が壊れて
自分を見つめ直す機会が何回も訪れた。
いわば「原点回帰」。

けど、いま改めて、
「必要な関係と、きちんと繋がっている。」
という安心感がある。

その時その時に、出会ってきた方と、
共有した経験や知識は、
どれ一つとして無駄なんてなかった。
そう感じられる。

まだまだ立ち往生したり、
スタックしたり、あるんだと思う。
でも、そのひとつひとつの経験が
次の自分を育ててゆくプロセスとなる。
そう信じられることに、安堵してる。

目の前のできることを
ただ、ひたすらにやるしかない。

ですよね?

焦ったって仕方がないので、
出来る範囲でゆるゆるやりま~す。
せめて半分くらいの単位取りたいよ~。

「元気でね。」その一言で、20年来の親友と縁を切った。

それは唐突に、
全く予想もしない形でやってきた。

2016/12/13 blog photo by horie sanae

学生時代からの友人。
友人の少ない私にとっては
数少ない親友と呼べる人だった。

唐突に、

「あなたの夫と話をしたい。」
と連絡がきた。

なにこの不穏な雰囲気。
私をすっ飛ばす意味が分からなかったので、
「どうしたの?」
と聞いてみた。
(夫と彼女は数年前に一度会って、
酔った彼女は夫に暴言を吐いた…。)

「あなたに話をしても
理解してもらえないと思う。」
という返事。

私が理解できない話を夫にして、
なにがしたいのだろう。
私は混乱した。

そこから、しばしやり取りをして、

「あんな風に攻撃をされて
ものすごく傷ついた。
あなたは変わってしまった。」

と返事がきた。

思い返しても、
失礼なことを言った記憶もないし、
攻撃なんてしてるつもりもない。
いたって穏やかに時間を過ごした。
はず!?じゃなかったの?

そうしている間にも、
彼女のメッセージは怒りを増してゆく。

その場で言ってくれればいいのに。
どうして直接言ってくれなかったの。
その言葉を飲み込んで、

「もう会いたくない。」
という最後の言葉に

「わかったよ、元気でね。」
と返した。

その一言で、20年来の親友と縁を切った。

不思議なことに、本心では少し
…ほっとしていた。

「こういうことかぁ。」
やり取りで冷え切った心と体を癒そうと、
お風呂にお湯を張り、
香りのよいオイルを数滴落とした。

私はもう、
あの人が嫌い、この人が嫌い。
と言いながら、起こる出来事のすべてを
自分じゃない誰かのせいにする話を
延々と聞くのはつらい。

その昔、
「あなたが、本当のことを
自分の言葉で話し始めると
あなたを嫌いになる人がいるかもしれない。」

と、伝えてくれた方がいる。
その時はまだ「本当」がなにかも
何もわからなかったけど、
いまなら少しわかる。

私はもう、自分に隠し事はしない。
と決めた。

本心からの言葉を口にすると、
「一生懸命隠し事をしていた頃の私」
の方がよかった!!戻ってきて!!
という人が出てくるみたいです。

そうして、悪いことに大抵そういう人は
とても近しい人、例えば幼馴染や昔からの友人、
親や兄弟だったりして、
しかも、戻ってきて!という気持ちには嘘偽りもなく
最悪なことには、それは善意だったりする。

それはだって、その人たちには
その方が都合が良いからなんですわ、
私が「他人の感情に従ってばかりいる奴隷」
でいることの方が。

親や、身内に嫌われたくなんかない。
それも私の本心ではあります。
悩ましいところです。

でも、「嫌われたくない」に従うことは、
また自分の本心を巧妙に隠した
「他人の感情に従ってばかりいる奴隷」
に、逆戻り。

もう無理、
だって自分の本心知っちゃったもん。
戻りたくたって戻れないんだもん。

友達に嫌われることは、つらくて悲しいけど、
私は私で生きていくって決めた。そして、
温かいお湯に浸かりながらわんわん泣いた。

泣き疲れてラジオを付けたら
Don't Stop Believin'が流れてきた。

Don't stop believin'
Hold on to the feelin'
Streetlights, people

誰かがそれでいいよって、
背中を押してくれてるみたいだった。

あなたは、悪くない。

「もー、分煙してくれればいいのに!!」

久しぶりに会った親友は、唐突に言った。
隣に座った客が、
「すげーヘビーだったな。」
そう言ったのだそう。

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私は、片隅で聞いたかもしれないその台詞を、
心の中で反芻してみた。

「すげーヘビーだったな。」

それだけを聞いたら、
厳しいプロジェクトか、
なにか終わったイベントの、
もしかしたら
別れた女性との話かもしれない。

煙がきつかったな、という台詞だとは
正直わからないな、と思ったりした。

「灰皿が置いてある居酒屋で
タバコを吸ってはいけないの?」

彼女はもんやりと繰り返した。

「許可されている。だから、問題ない。
とは考えられないということよね?」
私は聞いた。

私なら、
ごめんねー、でもイヤなら出てってくれるー。
そう思う。

私は私のやりたいようにして、
共存できないなら、
どちらかが外せばいいだけ。
そこに「私のせい」という、
感情の色はつけない。

でも、彼女は
タバコを吸ってはいけなかったの?
迷惑をかけてしまったの?
わたしがいけないの?
そう感じてしまったのだ。

やりたいことをすると、
誰かに迷惑がかかる。
そう、無意識に信じ込んでいる。
そういうことだ。

社会に出たての頃にお世話になった上司は、
私より3歳ほど年上で、男運が悪かった。

「どうしてなの!?私が悪いの!?」
大抵は、隠そうともせずに浮気をされ、
怒鳴りつけては情緒不安定になって
しばらく会社に来ないことがよくあった。

どうして?なぜ?
私は大切にされないの?
愚痴ると、彼女はよくこう言った。

私は、
「あなたは、悪くない。」
という言葉を飲み込んだ。
たとえ、毎回浮気をする男を
みずから選び取っているとしても。

私もまた、人の事を言えない程度の
恋愛経験しか持ち合わせていなかったし、
二股をかけられていて、どうやら本命は
私ではないと気がついた矢先だった。

「あなたは、悪くない。」

飲み込んだその言葉は、
自分へと返ってきた。
そして、二番手のポジションに
甘んじている自分を慰めてくれた。

私は私の都合で生きているし、
みんな、その人の都合で生きている。
ただ、それだけだ。

「あなたは、悪くない。」

私は二股男と別れ、
まもなく会社をやめた。
私は、私を大事にするほうを選んだ。

それでもわたしは飯を炊く。

涙も鼻水も全開で、
泣きながら風呂を磨いていた。

2016/11/25 blog photo by horie sanae

心を整理したいときには
掃除をする。

掃き掃除より、拭き掃除がいい。
つるっつるに磨き上げると、
心もつるっつるになる気がする。

大切な人が、重要な局面にいるとき、
反射的に一歩身を引いてしまう。
これは、わたしが幼い頃に身に着けた癖。

今回も、わたしは反射的に
一歩引いてしまった。

そして、その挙句に
泣きながら風呂を磨く羽目に。

いや、みずからそれを選んだわけだけど、
言い訳が許されるならば、それは
本心から選んだわけではない。

 わたしは、必要とされていない、
  わたしがいると、邪魔になる、
   わたしは、仲間に入れない。
    わたしが生きていると、迷惑になる。

心の奥底に、そんな呪いがある。

そういうと、愛する友たちは、
そんなことない、と言って抱きしめてくれる。

でも、温かな言葉と抱擁にも
負けないくらいの強固なその呪いは、
ずっと、わたしの心の奥底にこびりついている。

その呪いが、わたしの邪魔をする。
選びたくもない選択肢を、選ばせるのだ。

わかった、わかったよ。
そこにその呪いがあるのは、よくわかった。

けれども、これはわたしの人生だから、
よく聞くのだ、呪いよ。

わたしはもう、
やらないことでの、後悔はしない。
自分のやりたいように、やらせていただく。

そうして、わたしは米を炊く。
私は、母の忌み嫌った「飯炊き女」でしかない。

出来ることなんか、なにもないけれど、
おにぎり握りしめて病院に戻った。

一歩、前に。
つらいとき、困ったときは、
一歩前に出よう。

気がつかなかったことに、
気づけるはずだから。

見えなかったことが、
見えてくるはずだから。

一歩、前に出て、
次の自分にチャンスをあげよう。

その一歩が、また次の一歩への
勇気を与えてくれるはずだから。

そうすると、
きっと、次に見える景色は、
新しい景色に変わっているはずだから。

~聞きたい、言いたい、などこちらからどうぞ~

「自分の内面を見る」ってなにしてるの?

「自分と向き合う」とか
「自分の内面を見る」とか、
なにしてるの?
と、聞かれました。

2016/11/16/ blog photo by horie sanae

(写真は、2012年チェンマイのコムローイ上げ。
先日14日がロイクラトンだという事で、アップ♪)

わたしは、
なんでそんなことを聞きたいの?
と、意地悪なことに、
質問に質問で返答。

なんか、
これじゃいけないって
思ってるけど、
どうしていいかわかんないの。
誰も教えてくれないし、
聞ける友達もいないし、
セミナーや講座でも
ちょっと違って…。

それはレーベンスヴェンデといってねぇ、
覚えたての心理学を披露したくなりますが
ぐっとこらえます。

それで、答えは自分に聞かないと
わからないと、そういうこと?

彼女は、(珍しく真剣に)頷きます。

人って、ちゃんと
自分が答えを知ってると
知ってるんですよねぇ。
なんだか、感動しますよねぇ。

「自分と向き合う」とか
「自分の内面を見る」とか、
たしかに、具体的に何をしてるのか
わかりにくいかもしれません。

やってることは単純に
自分の考えを客観的に見直し、
自分の本心を探っていく。

これだけ。

例えば
「これじゃいけない」
って思ってるなら、

パターン(1)
いつからそう思ってる?
と、自問してみます。

実は、結構前から思ってるなぁ。
だったり、何かのきっかけが
思い出されるかもしれない。

結構前からだとしたら、
この感じ経験したのいつかなぁ、
大学進学の時?
あ、中学校でもあった。
みたいに記憶を遡っていきます。

すると、結構昔の
その原因がみつかったりします。

そこから、あの時は
こうしたかったんだなー。
みたいなことがきっかけで、
本心に近づくことがあります。

他のパターンだと、

パターン(2)
「これじゃいけない」
なら、どうしたい?
って聞いてみる方法。

------今のままじゃ、ダメなのはわかった。
じゃ、何がダメなの?

なんかダメだっていう
漠然とした不安があるの。

------不安、不安はどんな不安だろうね?

今のままじゃダメになっちゃうような…
そんな不安。

不安も、怒りと似ていて、
必ずその後ろには、
親玉みたいな〈恐怖〉がいます。

それを自分の感じ方を頼りに
探っていくことで、
何を怖がっていたのか、
本心を探ってゆきます。

自分の考えを客観的に見直し、
自分の本心を探っていく。

ある考えを客観的に見ようとすると、
それを邪魔する思考があることにも
気がついたりします。

そして、なかなか
自分の本心を探っていくのは
口で言うほど単純で簡単な
作業ではありません。

プロの手を借りたほうが
当然スムーズですし
私自信も、カウンセラーの
手を借りています。

でも、敢えて
そこは、敢えて、
最初、ひとりで向き合ってみてほしい。

自分で自分と向き合う事を、
自分にゆるして上げてほしい。

だってそれは、あなたの
本心からの願いであるはずだから。

本心からの願いを、
ひとつ自分で叶えてほしい。

あなたが、あなた自身を愛する
その一歩を踏み出す自由を
あなた自身が与えて欲しい

それは、きっと
大きな一歩となるはずだから。

~聞きたい、言いたい、などこちらからどうぞ~