意識高い系社畜が会社をやめてからの記録

思考、感情、こころの、点と点をつなぎ、本当の自分へ還る方法を探します。

見えてない、に気がつくことは難しい

見えてない。
わかってない。

そんなことはたくさんあるのに、
わたしたちはつい、
見えてないものを、
なかったことにしてしまう。
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先日お話した男性は、
無意識とか、集合意識とか
なんかある気はするのだけど、
それだけを信じるのは怖すぎる。
と、仰った。

素直な感情を言葉にできる方で、
わたしはその感じ方を、
とても好もしく感じた。

そのことを伝えると、
怖いって言葉にするのも怖いですし、
目に見えてるもの以外にも何かある。
って考えも、ほんとは怖いんですよ。

でも、自分が関わってるの
Bluetoothの製品ですから、
言ってること本末転倒ですよね。
と、苦笑された。

こういう感性の方が
増えていくといいなぁ。

わたしが心理学を学んでいる
というと大抵、

おもしろーい!と
うさんくさーい!という
2極の反応に分かれます。

うさんくさーい!
の次には
心病んでるの?
って来たりするんで、
苦笑するんですけど、

やはり目に見えないものは
うさんくさいもの
と感じるのでしょうね。
(私が胡散臭いというのは置いといて)

でも案外いまの生活は、
たくさんの目に見えないものに
支えられていますよね。

微生物や菌など、
小さ過ぎて見えないもの。

携帯電話、電子レンジなど、
光や電波などの波長。
探せばたくさん出てきます。

そして、
人の意思や感情。

この、意思や感情が無ければ、
人類はここまで種を拡大して
繁栄して来れなかったはず。

目には見えないけど、
意志なくしては、
いまの安全で快適な生活すら
存在しなかったはず。

見えないけれど、
大きな力を持つ
「こころ」という存在を、
もっと、気にして、
気がついて欲しいなぁと
思うのです。

しかしながら実際のところ、
目に見えないものは、
やっかいなのです。

だって、見えないもんね。

でもでも、
気にしてみようと思うならば、

自分の感情や感覚を
大事にすること。
から、始めて頂きたいのです。

私は長いこと、
感情にフタをしておりましたので、
悲しいとか、寂しいとか、
ネガティブな気持ちが
よく分かりませんでした。

分かるんですよ、頭では。
あるんだろうなーって。

でも、感じません。
感じるって、なんですか( ¯−¯ )?
って感じです(そこは感じる)。

このブログ読んで
くださっているということは、
ひょっとするとあなたも、

感情感覚に厚いフタをして、
その上からコンクリで塗り固め
慎重に御札を貼るような、
思考優先型タイプなのかもしれません。

いいんです!
いいんですよ!そのままで!
無理に変わろうとしなくていい。
ダメだ!って思わないで。

そうなのです。
見えてないものに気がつく。
それって、とても難しいんです。

特にネガティブな感情は、
それに気がつきたくなくて
フタをしているので、
こころの奥底では、絶対に見たくないと
誓っているかもしれない。

でも、ない!って断言しないで、
あるかもねー。
くらいに緩めてみませんか。

たまにでいいです。
ちょっとだけ〈こころ〉さん
何か言いたいことありそうかな?
って、耳を傾けてみてください。

こころは見えません。
でも、何もない!と言いきれる人は
いないでしょう。

ないと思ってると見えないけど、
あるかもと思って耳を傾けると、
聞こえて来るかもしれません。

それは、自分を大事にすることの
ひとつなのかもしれません。


~聞きたい、言いたいなど、こちらからどうぞ~

あの時こうしていたら、と思った時に。

あの時、こうしていたら。
あの時、それがあれば。
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人気漫画のタイトルではないけれど、
私たちの心は、油断してると過去に飛ぶ。
それはもう魔法みたいに、あっという間。

ぼーっとしていると、
頭の中で、過ぎた事柄や、
不安がぐるぐるしてくる。

ああだったなら、
こうでなかったなら。

過去が違ったなら、
いま、違う現実があると
言うかのように。

果たしてそれは本当なの?

私たちにとって過去の記憶は、
厳然たる変わらない出来事。
であるかのように思える。

けど、実際は、
過去は書き換えられるもの。
らしい。

どんなに記憶に自信があっても、
記憶を取っておくことは
できないみたいなの。

人の過去の記憶は変わるもの。

都合よく脚色され、
書き換えられて
事実とは異なることが多いもの。

というのは、
科学的に証明されている
そうなのです。

そう、過去の記憶は、
解釈された物語に過ぎない。

つまりタラレバは、
あなたが作り上げた幻想。
というわけ。

どう思う?
そんなことないよ、
事実は事実でしょ?
って思ったりする?

うん、起こった出来事。
というのは、ある。

それを、
どんな風だったか、どう思ったか。
その記憶には多分に脚色がある。
ってこと。

そして、それは
〈あなたの世界観〉という
色メガネで色付けされている。

その世界観が、
私は愛されない。とか
私は価値のない人間だ。とか
私はいつも攻撃される。とか...

だったりすると、
悲しい記憶として蓄積されるの
悲しいね。

悲しい思いを抱えてると、
過去まで悲しく色付けてしまう。

では、
〈今〉はどうだろう?

今は、過去と繋がってる、そう思うかな?
過去の積み重ねがあっての今。

そうかもしれない、
でも

今は、未来とも繋がってるね。
今の積み重ねが、未来を作る。

〈今〉には、
未来を選択する自由がある。

次の選択肢が、
温かく優しいものなら、

これからの未来は、きっと
温かく優しいものになる。

それを続けていくなら、
あなたの世界観は変わり

いつしか、
その地点から振り返った
あなたの過去は、

温かい優しさに、
満ち溢れた記憶となっているはず。

でも、今悲しいんです。
そんな人は、存分に悲しんで欲しい。
悲しいを封じ込めないで。

悲しいの先には、次の選択肢が、
未来があるから。

次の1歩を変えて、
未来も過去も変えていこう。


~聞きたい、言いたいなど、こちらからどうぞ~

ダメなとこあっても死なないから

「その考えは、間違ってる。」
「そんな、みっともないことしないで!」
「その洋服、気に入らない。」

なーんて、思ってしまうこともある。
判断しない、ジャッジしない。
そう思ってたって、思っちゃう。
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コンマ何秒レベルの速さで思っちゃうから、
気がついたときには手遅れなの。
運動神経ないくせに、こういうのめっちゃ速いよ。

私たちはなにかと、
二極で考えてしまう癖がある。

良い悪い
好き嫌い
正誤
優劣
白黒
敵味方
安全危険

こっちOKなら、そっちはNO!

その判断(思考)は、
その昔、生きることが、
死と隣り合わせだった頃から
必要とされていた。

危険な動物か、味方か。
食べられる植物か、毒か。
逃げるべきか、じっとしているべきか。

一瞬の判断の間違いは、
死に直結する。

だから私たちは、
素早く正しい選択を
選ばなくてはならないの。

それは、
私たちが長い年月をかけて、
脳を成長させて生きてきたことの証。
くせみたいなものだから、仕方が無い。
そうして、私の祖先たち生き延びてきた。
ご先祖様ありがとう。

そして、
私たちは幼い頃から、
親や養育者の、顔色を伺い、機嫌を伺い、
愛されるように努力して努力して、
ようやく、ここまで生き延びてきた。

親や養育者によって、
危険なことを避け、
安全な道を歩くように
教えこまれてきた。

その教えが正しかったってことは、
いま、あなたがここにいるってことで
証明されているよね。

うん、よくここまで生きてきたよね。
スゴイスゴイ。
本当に、結構すごいことだと思ってるんだ。
育ててくれて、ありがとう。

だからそれも、仕方が無い。
少なくとも、仕方がなかったんだよね。
その頃は、それが生きる道だったのだもの。
良くやったね、自分!
ここまで生き延びたよ!大成功!

でもオトナになるとそれが、
ちょっと苦しくなることがある。

いつも正しい自分でなくては!
ひとよりも優れた自分でいなければ!
誰にも嫌われない自分でなければ!

なんだか、わからないけど、
あれもダメ、これもダメ。
とっても不自由な感じ、がする、
ことがある。

それはさ、
〇〇でなければならぬ!
は、ジャッジのひとつで、

〇〇でなければ〈死〉!
って、心の中で
叫んでるってことなんだよね。

他人に言ってる人もいるけど、
他人に言ってるって、
実は自分に言ってるんだよね。

例えば、
ひとよりも優れた自分でなければ!
と思ってたなら、

ひとよりも優れた自分でなければ〈死〉!
って、叫んでるの。自分に。
結構、しんどいよね。

なかなか他人に言えないよね、
アンタみたいな劣ったひと、死ねばいい!
なんて。

でも、不思議なことに、自分には結構やってる。
でもでも、セルフジャッジは止められないの、
そういう仕様だから。

さて、どうしましょうか。

んーとね、死なないよね。
ひとよりも優れた自分でない私も、生きてるし。
生きてていいよね。

って思うくらいのところから
やってみるのどうですか?。

「その考え、間違ってる!」
って、思ったら、
「んー、でも死なないし。」
って。

ダメな方を、
ダメだからって切り捨てずにいること。
それが、ありのままなんじゃないかな。

ダメなとこあっても死なないから。
残してあげても大丈夫だと思うんだよ。

それが、自分の全部にOKする
ってことじゃないかなと、思うのです。



~聞きたい、言いたいなど、こちらからどうぞ~

「差し出す」ことでギフトが活きるのかも

こんばんは、ホリエです。
ブログのタイトルを変えました。
引き続き、よろしくお願いいたします。

2017/03/09 blog photo by horie sanae

ちょっと前まで、
自分のギフトってなんだろう?
と、もんもんとしていたのですが、

ふと、
あの頃の自分に教えたいなぁ。
という思いが沸いてきました。
わらしべ長者」で。

ご記憶ですか?「わらしべ長者」。
物語は、身分が低く若く貧しい、
ひとりのお侍さんから始まります。

お侍さんは、
観音様にお願いをします。
「このままで終わりたくはない、
なにかひとつ、私にお与えください。」

すると、
「寺を出るときに触れたものが、
贈り物だから大事にするように。」
と、夢にお告げが現れます。

喜び、寺を出るお侍さんの手に、
一本の〈わらしべ〉が触れます。
お侍さんは、その〈わらしべ〉を
大切に持っていきます。

しばらく行くと、
アブがうるさくまとわりつくので、
〈わらしべ〉にアブを結ぶと、

今度は、高貴な籠の中で
泣く子をあやす女性から、
その〈わらしべ〉を譲ってほしいと
声がかかります。

〈わらしべ〉を渡すと、
お礼に密柑が返ってきます。

またしばらく行くと、
喉の乾いた方に出会い、
密柑で喉の渇きを癒してあげると
お礼に反物が返ってきます。

こうして、
若く無職で貧乏だったお侍さんが、
物々交換で、田を抱える屋敷を持つまでに
豊かになっていく、というお話です。

さて、
そんな上手くいくかよ!
とツッコんだ方も、

わらしべ一本かよ!!ケチ!
と思った方も(私です)、

逆境に負けないって大事、
と生真面目に受け取った方も
いらっしゃるかもしれません。

「信仰、信心が大切」
「物を大切にしよう」
「ラッキーも実力のうち」
「甘えてもいいんだー」
と、様々に受け取れると思います。

ここで、浮かんだ思いが
あなたの〈宇宙〉〈世界観〉です。

こちらもどうぞ
目の前であなたの悪口を言われたとしても

私は、
これは、ギフトの話かな、
そう浮かびました。

天から与えられた、
才能や能力というギフト。

〈わらしべ〉は、そういった意味だと
大変残念な感じがありますw

一見、与えられたギフトは、
つまらなく、ちっぽけに、
見えるかもしれない。

でも、若いお侍さんは、
〈わらしべ〉を大事にし工夫します。
そして、乞われれば自ら与えます。

大事にと言われたからと、
それに固執することなく、
必要とする人に与え、
しかも、見返りを要求しない。

こんな感じに、
「ギフトは、一見輝いてはいない」
し、
「ギフトは、自分で育てていく」
のかもしれない。

そして、
育てたギフトを、勇気をもって
他者のために差し出すことが
「ギフトを活かす」こと
なのかもしれない。

人は、階段を上がるように、
ステージをクリアしながら
人生を進んでいく。

その時にある装備で、
その時の仲間たちと、

宝箱のカギを探して……
現れる問題をクリアして……

出口がないように感じることも、
もうダメだ、次にいけない!
と感じてしまうこともあるけど、

信じて、勇気を出して、差し出す!
しか、進む方法はない。

その時手元にあるギフトを
大切に磨くことで、
ギフトが次の道標になってくれる

ギフトを活かすことで、
仲間が増えたり、装備がもらえたり、
そんなこともあるのかもしれない。

いま、手にしているものを
最大限に活かして、クリアするしか
次のステージに行く方法はないのだから。

勇気を出して「差し出す」
そうすると、次へ進むヒントが
見つけられることもあると思うのです。

~聞きたい、言いたい、などこちらからどうぞ~


わらしべ長者

今昔物語集』および『宇治拾遺物語
に原話が見られる。

とありますので、平安時代
語られていたお話なのかと思います。

舞台となるお寺に、物語が書いてありましたので、
ご興味のある方はリンクをどうぞ。

藁しべ長者|奈良大和路の花の御寺 総本山 長谷寺

目の前であなたの悪口を言われたとしても

その人はその人、
自分は自分。

分かり切っているようで、
実は境界線を引くのが難しい。

2017/03/03 blog photo by horie sanae

誰かと同時に同じことを経験しても
他の人にも同じ感情が起こるとは
言い切れない。

例えば、
何かの面接試験に落ちたとする、
Aさんと、Bさん。

Aさんは、
うまく受け答えできなかったもんな、
人前に出るといつも緊張しちゃって…
いつも私はダメなんだ…と、悲しみに襲われる、
かもしれない。

Bさんは、
ちゃんとアピールできなかったなぁ。
もうちょっと研究してみて、つぎ頑張ろう。
と、前向きに捉えられる、
かもしれない。

このくらいの差は、
普段の生活の中で、普通にあるよね。

その差って、
モノゴトのとらえ方とか感じ方とか
考え方とか世界観とか価値観という、
〈自分の宇宙〉のルール決めの違い。

そう、なにかが起きた時
どう感じるか
どう受け取るか
には、その人のルールがある。

そして私たちは、
見た目ではわからない
〈自分の宇宙〉という名の
捉え方、感じ方のルールの中で生きていて、

その〈自分の宇宙〉は、
あなたの経験や記憶から作られている。

だから、
あなたの心に
沸き上がってくる感情は
あなただけのもので、
完全にあなたオリジナル。

あなたが作っているもの。

そう、だから
あなたの感情は、
その人のせいではないの。

たとえその人が、
目の前であなたの悪口を言ったとしても。

だって、
その人は〈その人の宇宙〉で
モノゴトを捉えていて、

あなたに悪口を言ったのは、
あなたを見た、その人の中で、
何かが反応したってこと。

それだけ。
(※下記注釈アリ)

そんなわけなので、もちろん
あなたがそれを受け入れて
傷ついたり凹んだりする必要なんて
まったくない。

その逆に、
自分の言葉や態度が、
相手の機嫌を損ねたのではないかとか
嫌われていないかとか、

〈その人の宇宙〉のルールを、
勝手に腹を探り、
勝手に深読みし、
勝手に傷ついたりしてしまう。

その人の感情にまで
自分が悪いのではないかとか、
つい自分に責任を探してしまう。

それは、〈他人の宇宙〉への
不法侵入。

きっとその人も、
〈その人の宇宙〉で生きている。

その人の過去の経験や記憶から
モノゴトにどう反応するかの
ルールや決まり事が作られている。

みんな〈自分の宇宙〉で生きているよ。

そして、
〈自分の宇宙〉を快適に心地よくするのは
自分の大切な仕事なんだよね。
よく、忘れちゃうけどね。

~聞きたい、言いたい、などこちらからどうぞ~


(※以下補足注釈)
> あなたに悪口を言ったのは、
> あなたを見た、その人の中で、
> 何かが反応したってこと。

これに関してですが、
中谷彰宏さんは、こう書いています。

悪口は脅威を感じている人に対して言うのです。
つまりあなたに悪口を言う人こそが、 あなたの実力をいちばん評価している人なのです。
悪口を言われたら「評価して頂いて ありがとうございます」 と心の中で頭を下げましょう。

私はこれを読んで衝撃を受けたんですよねぇww

全部OKなら苦労しないんだよねー、うんわかるー。

「全部OKといかないから、
この講座にきてるわけで…(大幅に意訳)。」

先日受けた講座で
およそ、こんなことを
仰った方がいた。

2017/02/27 blog photo by horie sanae


「全部OKってことは、
いろんなセミナーとか
行かないってことですよね…。」

あぁ、そうそう、そうなんだよね。

現状をどうにかしたくて、
いまのところから抜け出したくて
頑張って、
セミナーやら講座やら通ってる。
いかないとだって、今のままじゃないの。
って、もんやりするよね。

私は、その言葉を聞いて
自分の世界に潜ってしまったから、
その時の講師の方がどう応えられたか
記憶にない。

その時、わたしの心に浮かんだのは、
「執着を自由にする」
という言葉。

私もずっと昔、
自己啓発コーチング、
リーダーシップ、プレゼン技術、
技術やデザインの講座、
話し方、マナー講座…

会社を終えたら講座に通って
自己研鑽に励む日々があった。
もちろん、その時点では全く必要のない
英会話にも行ってたよ
(英会話ってフラグよね)。

それって、全部
「今の自分を変えるため」
だった。

自分に何か足りないもの、
もっと強力な武器が欲しくて。

その頃の自分に
「全部含めてOKしてあげよう」
そう伝えたら…

前述の女性みたいに答えてるはずだわ。
だって、今の自分に全然OKじゃないんだもの。

給料安くてこき使われて、
離婚したてでお金はないわ
三十超えたら年は取るわ。

でも、
もっと素敵な何かが欲しいし、
もっと素敵な家に住みたい。

もっともっと!
自分を変えるのだ!!
って思ってた。

生活できるだけのお金があって、
気の合う飲み友達がいて、
好きな人とたまに旅行にいって、
好きに生活できて羨ましい、
そう言われたこともある。

それでもあの頃、
自分の回りにあるものすべてが
息苦しかった。

三週間休暇を取って
ケニアに撮影旅行に行っても、
めっちゃ不自由だったww

そして、
とっても素敵な彼氏と別れて、
それから少しして、
会社員も辞めた。

もう着ない洋服、
いつか頂いた食器、
来ない来客用の布団、
ほこりをかぶったキャンドル、
間に合わせで買ったバッグ、
あらゆるものを捨てた。

まるで死ぬ準備を進めているみたいと
親が心配した。

けれど、
いろんなものを捨てていくと、
どれだけ必要ない、愛情もないものに
囲まれて生活してたのかが、よくわかった。

がらんとした部屋(当社比)で、
はじめて、全部自分で選んだもの。
全部OKできる、そう感じた。

ないないと思ってたけど、
それは、眼を向ける方向が違ってただけ。
全部そぎ落としてみた時、
欲しい欲しいと思ってた自分にもまた
OKすることが出来た。

自分の全部をOKする。
簡単に書いてあるようには、簡単ではない。
かも

それは、自分のダメな部分に目を向けて
客観視することが必要で、
そしてそれを自分のこととして
受け止める覚悟も必要になる。イタタタ。

でもね、なんでOK出来ないのか。
それは、ダメな自分が許せないから。
なんだよね。

ダメな自分なんて
かっこ悪くて、
情けなくて、
そんな自分、
全然自分だと思いたくなくて。

それは、ダメな自分はだめなんじゃ!
自分は完璧でなくちゃならないんじゃ!
という執着なんだよね。

うん。

「執着を自由にする」
手放すとかって言い方もするね。

執着しているものは手放す。
だって、執着しているものは
不安や恐れを生み出すから。
そこから、愛や慈しみは生まれないから。

ダメな自分はだめなんじゃ!
を自由にしてあげると、そこに愛が生まれるから。

執着を自由にすると、
ダメな自分も、まーいーかー。
って思えるときが来るからさ。

ダメな自分も、まーいーかー。

それがOKだから。
ダメな自分抱きしめて
よしよしってしてあげたら
いいんだよね。

うん。
(って、あの参加者さんに伝えたい)

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選択できる不自由と、選択できない自由

数か月、ほぼ誰にも会わずにいて
試験終了から飲みラッシュww
そして風邪ひく一連のパターンです。
なかなか学びません。

2017/02/22 blog photo by horie sanae

他に優先したいことがあるから
今は会えない。も、

やらなきゃならないことはあるのだけど、
あなたに会いたい。も、

自分の気持ちを、きちんと言葉にできる。
それは、私にとって本当にありがたいこと。

自分の都合を優先することに後ろめたさを覚えず、
会いたい人に、遠慮なく会いたいと言えること、
それは、
昔の私には、たいそう難しいことだったから。

私たちの回りには、無限の宇宙が広がっていて、
どの方向に手を伸ばすこともできる。

私たちは、
会いたいと思うことも
会いたくないと思うこともできる。

言おうとすることも、
言わないでいることもできる。

やろうという選択も
やらないという選択もできる。

いまの私を形作っているのは、
そんな些細な、小さな選択の積み重ね。

そんな小さな選択の積み重ねの中で、
いつの間にか、たくさんの選択肢から
無難で安全な、自分の手に届きそうな選択肢しか
選ばないような癖をつけてしまっていたりする。

自分の未来は自分で決める。
そう思っていたはずなのに、
いつの間にか、笑われることを恐れ、
周りの顔色を窺っている。

失敗しないように、
転ばないように、
嫌われないように。

たくさんの選択肢があるのに
どの選択肢も不本意で窮屈。

それは一見、
自由なように見えるけど、
選択できないことで許される自由。
大きな安全ネットの中の自由。

もし、それが窮屈だと感じるなら、
その先にある本当の自由を
求め始めているのかもしれないね。

自分の本心から求めるこたえ。
そこに選択肢はない、究極の自由。

選択肢が多ければ自由でもないし、
少なければ不自由でもない。

私たちは、
考えているほど自由ではないし
感じているほど不自由ではない。

360度手を拡げることも
ここぞと決めた1本をつかみ取ることも
本心から決めたことであれば、
それは、自由。

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