蝉の化身
大音量の蝉がこれだけたくさん集まるとホワイトノイズに似ているのね、とぼんやり思いながら、冷たくなくて胃に優しそうな飲み物を探していた。
すでにこの日打ち合わせで、珈琲は三杯も飲んでいたし、まだお腹もすいていないし、特に食べたいものもない。選択できるものがない。選択肢はたくさんある(はずな)のに。
打ち合わせから帰る道すがら、法事のためだけの黒いプレーンなローヒールを買いに行き、慣れない人混みにバテて最寄のカフェに避難してきたところだ。
カウンターの席を確保し一息ついた。
静かにハワイアンの流れる店内に、一瞬。
大音量のホワイトノイズが、圧倒的な高い温度と湿度と共に流れ込んできた。
ホワイトノイズの波が引いた後には、黄色い幼稚園帽子をかぶり、汗で濡らしたおでこに前髪をひとすじ貼り付けた少女が立っていた。
少女はちょっと怒った顔のままカウンターにむかうと、
「す い ま せん!」
と、店員を呼ぶ。
反射的に扉の外に目をやったが、親や兄弟らしき姿は見えない。
栗色の髪を高い位置でポニーテールにした店員が、はいと答えながら出てくると、
「カフェオレをひとつください!」
といい、背伸びしながら握りしめたコインをカウンターに置いた。
「持ち帰りだよね?」
こくん、と少女は頷く。
アイスかどうか聞かないのは、もう何度か買いに来ているのだろうか。
お釣りを渡しながら、ありがとうという店の女性に、やはり不機嫌な顔のまま、こくん、と頷いた。
そして、振り向いた少女は、踊った。
先ほどまでの不機嫌が嘘のように晴々とした笑顔で、ステップを踏み、軽やかにくるくると。
吹き抜けの高い窓から、夏の強い日差しが、祝福のシャワーのように少女に降りかかる。
額にはりつく前髪などものともせず、きらきらと、幸せそうに舞う。
そうか、ミッション達成か。
ほどなくして、紙袋を携えたポニーテールの店員が、しゃがみ込んで少女にカフェオレを手渡す。
「あ り が とう!」
笑顔で一言づつ区切るように発音すると、少女はくるりときびすを返した。
そして、顎を上げ、羽ばたくように自動扉を開けると、強い日差しとホワイトノイズの中に消えた。