意識高い系社畜が会社をやめてからの記録

思考、感情、こころの、点と点をつなぎ、本当の自分へ還る方法を探します。

53日目:「好き」と思った感性を「もったいない」で潰さないで

会社を辞めてから53日目が経過いたしました。

最近、紅茶を飲み始めて思い出したのですが、今までも、たまに紅茶を飲んでは、また止めて、という似たようなパターンを繰り返しておりました。
なんだっけな、この堂々巡り感と思いつつ、はたと、これが自分のあかんパターンの定番や!と気が付きました。

幼いころ父が紅茶を好んでいたおかげで、我が家には常に紅茶の茶葉がありました。
トワイニングの缶のやつです。そののちに日東の50袋くらい入ってるティーバッグに代わるのですが、これを父は好まなかった。

そしてわたくし、実はまったくおんなじ順をたどっておりました。

紅茶美味しいな、と感じて紅茶を買ってくる
(リプトンなど、スーパーで売っているものですが)。
 ↓
美味しいのでしょっちゅう飲む。
 ↓
せっかくならと、ちょっと高級ブランドに手を出してみる。
 ↓
美味しい!と打ち震えてしょっちゅうが増えてしまう。
 ↓
ある時ふと、出費がもったいない、なんて思い始める(!)。
 ↓
そこで、スーパーのプライベートブランドなどの、やっすいティーバッグレベルダウンさせる。
 ↓
案の定、美味しくない。
 ↓
でもって、飲まなくなる。
 ↓
これすなわち、安い紅茶が余って困る。

これです。
このパターンですよ。いっつも!

し好品って難しいな、と感じます。
手間暇をかけてお金をかけるほど美味しいものが得られる。というのはものごとの道理です。
しかしながら、自分の時間のどこまで、収入のどこまでをそれに掛けてよいか、というのは、そのし好品にどこまでの価値を認めるか、と言い換えられますが、こればかりは、えいやー!で決めるか、試行錯誤しながら学んでいくしかないのですね。

え、お金かかる?
でも、興味がなければ、最初からお金を払わないでしょうから、まー、ネットでも参考にしながら自分でキワを見極めるしかないですよねぇ。

わたくしの場合、フレーバーティーJanatのフルーツティーティーバッグが丁度良い感じ。AHMAD TEAのフルーツセレクションも好きです。
香りがよくて選べる、というのが重要みたい。同じ種類だと飽きてしまうのです。そして、日東とかリプトンでもないところも特別感&高級感があってうれしい(たぶん、味の違いはさほど感じられておりません&お値段もリプトンよりお手頃シリーズもある)。

そして、茶葉の香りがよいのは重々承知しておりますが、茶葉の賞味期限を管理して、毎回ティーポッドを温めてー洗ってー、というのは正直しんどくて続けられない。
たまにポッドで美味しい紅茶をいただきたい、と思ったら電車に10分乗ってフォートナム・アンド・メイソンやTWGのサロンに行く方が、わたくしとしては、ずっと満足度が高いことに気が付きました。

珈琲も同様で、豆から挽いてというのが毎回はしんどい。
日に数回飲む珈琲ならば、サザコーヒーさんのドリップパックが丁度良いし、ちょっと美味しくて素敵な魔法が必要なときには、ウェッジウッドで淹れてくれるお店に伺います。

わたくしが、この堂々巡りで紅茶を飲まなくなるサイクルで気が付いたのは、
「美味しい」「好き」と思った感性を「もったいない」で潰すのはもったいない!ということ。

美味しいと感じた感動は、とても美しい感性の光なのです。

その光を「もったいない」で曇らせてしまうことほど、もったいないことはない。
自分を幸せにして、満たすことが出来るのは、自分しかいない。
たかが紅茶の一杯で幸せなひと時が得られるのならば、惜しまずに自分を満たしてもいいのだ、と決めてもいい(いいのよ!)。

もったいない、は時に「自分には」もったいない。という暗示や思い込みだったりします。自分には贅沢はもったいない、こんな高いもの自分にはもったいない...。
自分が満足することが、いけないことのように思い込んでいらっしゃるのですよね。
それも、ビリーフやブロックと言われるものだそうですよー。

あなたは、
何に美味しい、と感動しますか?
なにをしている時間が幸せ、と感じますか?

その幸せと感じている心は、とても満たされて心地よいはずです。
心地よく満たされていると、前向きになって周りの人にも優しくできそうじゃないですか?
「(贅沢って言われちゃうかも)でも、わたくしにはそれが幸せ。」
その感性を大事に育ててほしいと願うのです。

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