意識高い系社畜が会社をやめてからの記録

思考、感情、こころの、点と点をつなぎ、本当の自分へ還る方法を探します。

あなたという偏見に満ちた存在

あなたは、色眼鏡で世界を見ています。

2016/07/26/ blogphoto by horiesanae

色眼鏡とは、

  • 偏見
  • 価値観
  • 先入観

など、一方的な
物の見方、考え方です。

偏った見方をしない人は、
おそらくいません。

友達と同じ映画を見て、
一番感動したシーンそこかよ!
と、思わずツッコんだ。
という経験はありませんか?

同じ事象を見てたはずなのに、
全然違うところにフォーカスをしている。

フォーカス、これも色眼鏡です。
人は、見たいものしか見ません。

そして、
「コップに半分入った水」
という例えが良く出されますが、

「コップに半分入った水」
ただそれだけの事象を、
もう半分しかない、と感じるか
まだ半分もある、と感じるか、
これも、色眼鏡です。

しかし、
人は、考えたいようにしか考えません。
と、言えないのが心理の面白いところ。

あなたの色眼鏡は、
みずからが、この眼鏡がいい!
と、選び取っているのならいいのですが、
必ずしもそうではないのよね。

大抵は、親兄弟などとのやり取りを経て
自分とは、こういうものだ。
人とは、こういうものだ。
世界とは、こういうものだ。

と、知っていくことで、
色眼鏡が構築されていきます。
それも、自分の知らぬ間に。

そして、
ずっと色のついた眼鏡でモノをみていると、
そこに色がついている事すら忘れてしまい、
自分には偏見などないと思ってしまいます。

しかし、偏見のない人はいません。

たとえば、
「知らない人について行ってはいけません」
というのも偏見です。

身の安全を自分で守ることのできない子供に
親の教えた教育(偏見)ですね。

自分の安全を自分で守れる年になってくると、
この偏見は自然と消滅し、
普通に生活を送れるものですが、

これが、心にいびつな形で残ったままの人は、
極度な人見知りになっていたりして、
日常生活に不自由を感じている場合があります。

また、
「偏見がない」
これも偏見です。

「偏見がなく公平にモノゴトを考えられる自分」
(でありたい)という偏見です。

この場合、自分の望む姿を
理想としての偏見であれば、
その偏見を持ち続けて頂きたいと思います。

ただ、裏返せば
偏見を持つ自分はダメな存在!
とジャッジしている可能性もあるので
持ちたい偏見か、持ちたくない偏見か
ご自分で決めて頂ければよいのかと。

そう、
意識的に獲得し、
自分の意思で手放せる偏見。

と、
無意識に獲得した偏見で、
自分の意思ではどうもならん偏見。
があります。

前者は「理想」とか「意思」であり、
後者は「思い込み」とか「ビリーフ」
って話です。

これらがあなたの
偏見という名の「価値観」であり
「世界観」であり、
そしてそれが、
あなたを形作る「個性」です。

人の考え方は、そもそも偏っているものだ。
(これも偏見)

だからこそ、そこがとても面白く、
だからこそ、愛おしい……。

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