意識高い系社畜が会社をやめてからの記録

思考、感情、こころの、点と点をつなぎ、本当の自分へ還る方法を探します。

他人の裏庭の芝生まで刈ろうとする人

わたくしは現在のところ
働かずに生きております。

2016/08/08 blog photo by horiesanae

いわば非生産の側で生きている
一消費者(寄生虫)なわけですが、
夫の理解に支えられ、
この状況を享受しております。

「当分仕事しない。」

わたくしは、夫にも母にも、
そのことを告げるのがとても嫌でした、
やっぱこいつダメな奴と
蔑まれ、嫌われるのが
怖かったのです。

母は、ずっと看護師という
精神的にも体力的にもハードな
職種を30年全うし、退職した後も
ケア施設などで看護師の仕事を
続けています。

その母に
まだまだ体力も気力もあるこの年代で、
出産も育児も介護もないのに、
仕事をしない。

どうしたの?
大丈夫なの?

そう問われるのだろうと
思っていました。

「仕事をやめたよ。
当面仕事はしない。」

と話したところ。
そう、しばらく休みなさい。
ゆっくりね、とあっけなく会話終了。
心配も、お叱りもなし。

「委ねる」そう聞くと、
なぜか全てを放棄して
自暴自棄になっているかのように
思われることがあります。

でもそれは違うのですね。

わたくしは、わたくしにとって
必要な選択をしました。

それを母に伝えただけです。
それをどう受け取るかは、
受け取る側の問題です。

ひとにはそれぞれ
自分の裏庭の芝生(持ち場)があって、
そこを正しく管理していれば、
それでいいのです。

他人の芝生に、ずかずかと入って行って、
芝生をチェックしたり、手入れしたり。

それは、他人様の持ち場ですから、
そんなことをする必要はないですし、
もし、していたとしたら、
大変失礼なことをしているのです。

それがたとえ、親であったとしても。

しかしながら、なぜか
こころに関してだけは、
この他人の芝生にずかずかと入っていき、

「こう思われるのではないか」
「機嫌が悪くなったらわたくしのせいだ」
「断って悪く思われたくない」

などと余計な芝刈りを
しようとしてしまうのです。

ひとは自分の範囲で
自分の裏庭の芝生だけを、
丁寧に育て、青々と繁らせておけばいい。

それだけが、自分が出来ることの範囲です。

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