意識高い系社畜が会社をやめてからの記録

思考、感情、こころの、点と点をつなぎ、本当の自分へ還る方法を探します。

自分が幸せだって気づいてますか?

「人は、自分が幸福であることを
知らないから、不幸なのである。」

とは、ドストエフスキーの言葉でした。

2016/10/20 blog photo by horie sanae

わたくしは、
こういった説教臭い
蘊蓄がらみの言葉が大好きです。
ははw

言葉は、
知ってるはずの事すらも、
まったく違う角度で
とらえ直すきっかけを
与えてくれたり、

もちろん、
知らないことを教えてくれたりする、
素敵なツール。

そして、
不思議なことに
何度もその言葉を目にしていても
そのタイミングが来るまで、
自分の中に落ちてこない。
不思議なツール。

「人は自分が幸福であることを知らないから、
不幸なのである。」

この言葉も、
そんなこと、言われなくてもわかるわい。
ってような、単純な言葉。

でもなぜか、この言葉が、
すーっと染み入るように
わたしのこころに、
入ってきた時があったのです。

そして、それと同時に
今まで、見聞きしていた言葉が
腹で理解できた感覚がありました。

例えば、
〈幸せを他人に求めない。〉
ですとか、
〈幸せかどうかを、他人と比較しない。〉
みたいな言葉たち。

「幸せ」に関する記載が
わたくしのこころの辞書に、
実にしっくりと収まった瞬間
があったのです。

それは、言語的に意味を理解した
ということではなく、
体感としての理解です。

自分が自分の足で立つということ、
過去の傷に引きずられず、
自分に責任を持って生きるということは、

『自分を幸せにすること』
だと、ふと気がついたのです。

いま、人生に打ちのめされて
生きる気力をなくしていたとしても

思わぬところから
過去の傷と向き合わなければ
ならなかったとしても、

自分の〈意思〉のみが、
問題を解決します。

不幸や不運を数えるのではなく、
幸福を数えることが
〈自立〉なのかもしれません。

それが、〈意思〉を持ち
〈自分の人生を生きる。〉
ということなのかもしれません。

困難に立ち向かう方々の
たくましい姿をみるにつけて
「意思」と「幸福」は、
同じ重みをもった言葉のように
感じられるのです。

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