意識高い系社畜が会社をやめてからの記録

思考、感情、こころの、点と点をつなぎ、本当の自分へ還る方法を探します。

47日目:少しだけわたくしごと「自分のじゃない価値観」という名の怪物

会社を辞めてから47日目が経過いたしました。

たびたび、価値観の話を書いておりますが、どうして?とお友達に聞かれることがありますので、ちょっと個人的なことですが残しておこうかと思いました。
同じように今、感じていらっしゃる人がいたなら、なにかの一助になれることを期待して。

前置きなく書くと「自分のじゃない価値観」で生きてきちゃった後悔が、この「意識高い系社畜が~~」というブログタイトルに凝縮されております。
だから、何度も「その価値観はほんもの?」と問いたいのです。

わたくしごとですが、「自分のじゃない価値観」であかんかったなーというけっこうでかい経験が過去に二回あります。

大学進学と、最初の結婚です。

美術系の大学のため、親に反対されなかった?とか高校生でやりたいこと決まってたなんてすごいね、とか言われるのですが、まったくもって親が決めましたし、全然人任せでした。結果的に親の判断は正しかったし、良い学校に行かせてもらったと思ってはいるのですが、自分で決めたかと言われるとNOです。なんかよくわからないけど「大学へ行くのじゃー!」って言われたので行きました。ひどい。

次、最初の結婚ですが、なんだかその年になったら、好きなひとから結婚しようって言われたら結婚するんだろうなーと思ってたのですよね…これも、世間一般そうなのじゃない?という他人の価値観「三十超えたら結婚するんじゃー!」という声に従ってしまった。自分はそのとき、もっと仕事がしたかったのに。自分にも元夫に対しても不誠実であったなと反省することしきりです。

その離婚のあと、自分は自分の決めた道を歩みたい。人生変えたい!心の底からそう思って走ってきました。がむしゃらに仕事も趣味も頑張って、ディレクターとしてある程度の評価もいただき、趣味だった写真でウェディングフォトグラファーとして仕事をさせていただく機会も得ました。知識やスキルという名の武器、たくさん背負って突っ走りました。「知識やスキルはあればあるほどいいんじゃー!」って自己啓発の本に書いてありました。

そんな折に夫の海外赴任。
ディレクターの○○さん。カメラマンの○○さん、それらの肩書がなくなり、ただの主婦になるのです。今まで頑張ってきた足元がゆらりと揺らぐような感覚でした。
仕事という今までたくさん時間を費やしてきたものがなくなる。そのことは本当に恐怖でしかなかったのです。

しかし、なんでですかね?
なんで仕事してないとダメなんですかね?
介護とか育児とか仕事してない人、たくさんいるでしょ?

そういうやらなくていい理由があればいいの。
だから、わたくしも「海外で仕事できない規則がある」から仕事しない。
ちがう、できないのだもの(やる気はあるという言い訳)。

この、わたくしを奴隷のように仕事に突き動かしていたものは「仕事してないと自分はダメになる」という恐怖という名前の怪物でした。

東京に帰ってきましたら、むくむくとまた出て参ります、あいつが。
「仕事をしないわたくしなんてダメなんじゃー!稼げないわたくしなぞ生きてる価値ないんじゃー!」という自分の心が作りあげた怪物です。

そして怪物に屈服して、会社員を再開します。
しかし、以前とは何か違うのです。
この仕事をしている自分、完全なる幸せ!完璧なる自分!とは言い切れない自分がいるのです。
仕事をしていないわたくしはダメなんですよ。だから仕事してるけど、なんでなんだっけ?なんでこんなに苦しいんだっけ?

ダメって決めてるのは誰?
わたくし自身です。

では、なぜこんなに苦しいの?

「仕事をしないとダメなんじゃー!」という心の怪物は妄想です。実際誰も言ってないわけですから思い込みなのです。でも、このおかげで走り続けなくてはいけない気がしているのです。疲れ切っても、家庭もボロボロでも、なんなんですかね、この追い立ててくる怪物はー。

これが、ビリーフというものですよ、と教えてくださったのはカウンセラーで音楽家の大塚彩子さん
彩さんのお言葉を借りると、
ビリーフとは、「無意識の信じ込み・思い込み」のことです。

この囚われが、気が付かないところで、わたくしたち自身の行動や考えを制限していることがあるのです。

よくわかんないけど、いつもうまくいかない。とか
やりたいけど、やれない。とか。
そんなのは、「無意識の信じ込み・思い込み」が邪魔してることが多いのですね。

でも、いきなり「無意識」を変えましょう、といっても何から始めていいかわからないし、めっちゃハードル高いじゃないですか。
なので、見えやすいところをちょっと意識してみませんか?という話を書いております。

わたくしの場合、「苦しい」に気が付くまでに五年、気が付いてから、その存在が「仕事をしないとダメなんじゃー!」という恐怖だと理解できるまでには、およそ三年という時間がかかりました。
実は、苦しいことを自分で気が付かないケースが多々あるのではないかと睨んでおります。

ですので、最初の「苦しい」の見つけ方として「価値観(大事にしている順序)」を明らかにすることで、今の生活と矛盾はないですか?要らない価値観を大事にしてたりはしないですか?という観点で書いています。

わたくしと同じように、これを読んでいる方に、なにか苦しいという思いがあったなら、その思い手放してもいいかもね。って考えてもらえたら嬉しいです。
けっこう「常識」とか「普通は」とか「一般的に」とか「当たり前」みたいに思っていることの中に、怪物は潜んでいます。炊飯器を疑えと書いたのは、そんな意味からです。

気が付いたら、その「苦しい」は手放せるのです。
ずっと苦しんだままでいなくていいのです。楽になっていいのです。
あなたは、あなたのままで大丈夫だから。それを信じてほしいのです。

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