意識高い系社畜が会社をやめてからの記録

思考、感情、こころの、点と点をつなぎ、本当の自分へ還る方法を探します。

「仕事してなかったら、罪!」が消えた時

タイでは、〈仕事が出来ない〉
という前提があるので、(※1下部に注釈)
専業主婦は生きてる価値無し思考のわたくしには、
都合がよかったのです。

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2016/10/06 blog photo by horie sanae

仕事してなくても、
罪の意識に苛まれない!

朝から料理教室、
ランチは教室で頂いて
お茶でもいかがなんて、
スタバ行って(※2 )

仕事してなくても、
文句言われないなんて素敵!

そう思ってました、はい。
とっても自由!!

なーんて、全然ウソ!!
この発想があかんのよ。
むっちゃ自分で言い訳しまくって
防御壁張り巡らせた上での自由。
わたくし、ちいさっ!!

根底にあるのは、
「仕事してなかったら、罪!」
「仕事してなかったら、文句言われる」
って思考にがんじがらめな自分です。

でもねぇ、
色んな奥さんと話ししたり、
色んなタイ人と接したりする中で、
自分、全然世の中知らないんだなーって
実感できたのです。

赴任赴任で引っ越しを転々とされる方、
プロ並みのお料理の腕前で、
ボランティアに参加されている方。
タイで雑誌を立ち上げた方。
全然異なる業界から未経験で、
飲食店の店長となっている方。

本当に、さまざまな経歴の方々と
接することができて、
自然と、会社で働くだけが
生き方じゃないんだ、と
思うことが出来るようになりました。

そんな時、お友達が言いました。
「それ、作ってみたい!」
わたくしがしていた、紐を編んで作った
ネックレスを見ての言葉でした。(※3)

では、とお友達数人を集めて
ネックレスを作る会を開催しました。
すっと、自分で作ってはいましたが
誰かに教えるのは初めての経験です。

お茶しながら、おしゃべりしながら、
みんなと作るの楽しい♪

作り方をひとつを教えたら、
参加者全員分の、個性たっぷりな作品が出来る!
ひとりで作るより楽しい!

そうなのです。
自分が伝えたことを、誰かが吸収して、
まったく別の、その人らしい作品が出来る。
一人ひとりの、個性と感性がつまった
新しい作品ができる。

出来上がったアクセサリーは、
まるで、作る人の分身のように、
そのひとの感性が光となって
キラキラと光っています。
もっと、それを見てみたい。

そうして、アクセサリー教室を
定期的に開催するようになりました。

週に一日が、二日、三日、
午前午後と、徐々に増えて行きました。

予約が取れない、
と言われるようになったころ
ふと、同じ言葉をよく聞くことに、
気がつきました。

ワイヤーを使ったアクセサリーは、
作り方を覚えたら、あとはひたすら
体が動きを再現できるように、
同じ動きを繰り返す作業となります。

つまんない、って
いう人いるかもなーと思ってたのですが、
実際はほとんどいませんでした。

遠くで聞こえるMaroon5
窓から差し込む光、
光を反射する天然石たち。

作業する彼女たちから
柔らかなナニカが沸き上がっては
シャボン玉のように消える。

そして、集中して作業を終えたあと、
決まって同じ言葉を聞くのです。

「あぁ、すっきりした!」

この言葉を聞くのが、
わたくしにとって一番の喜びでした。

そうなんです、
同じ作業を、無心に繰り返す。
これって、瞑想と同じような
効果があるみたいなのです。

そしてその効果は、いつのまにか、
「仕事してなかったら、罪!」
というわたくしの思考をも
なだめることに成功していたのです。

もうちょっとで、
なにか、大切なモノがわかる気がする…

そして、掴みかけたナニカを
その実態はあいまいなままに、
タイを離れる日が来ました。

~聞いてみたい、言いたい、など遠慮なくどうぞ~



※1 いや、Bビザ取得すれば働けるの。
本気で仕事したければ、
日系の企業だってバイトだってできる。
日本人向けの仕事斡旋してる
会社もあるくらいだし。
それでもビザ取って仕事したいです!
まで思えなかったんだよ。
ぶっちゃけ、本心は仕事したくなかったんだね。

※2 スタバも最初は高くてビビったし。
とは言っても日本より安いんだけど、
エスプレッソ淹れてくれる屋台があるの、
そこがラテで30バーツ(約100円)。
スタバってラテが120バーツくらいなの(当時)。
4倍すると激高!!って思うじゃない?
でもそのうち、やっぱスタバが美味しいって
結論で普通に行っちゃうようになるんだけどね。
なんでも慣れるもんだよね。

※3 タイの暑さで、
すっかり皮膚がやられてしまい、
時折、金属アレルギーのような症状が
でるようになっていました。
金属を使わないアクセサリーを
探したのですが、
欲しいものはありませんでした。
なんか、アジアのアクセサリーって、
やたら重くて、やたらエスニックな
ものばかりなんだもん。
ならば、と作り始めていたのです。