意識高い系社畜が会社をやめてからの記録

思考、感情、こころの、点と点をつなぎ、本当の自分へ還る方法を探します。

選択できる不自由と、選択できない自由

数か月、ほぼ誰にも会わずにいて
試験終了から飲みラッシュww
そして風邪ひく一連のパターンです。
なかなか学びません。

2017/02/22 blog photo by horie sanae

他に優先したいことがあるから
今は会えない。も、

やらなきゃならないことはあるのだけど、
あなたに会いたい。も、

自分の気持ちを、きちんと言葉にできる。
それは、私にとって本当にありがたいこと。

自分の都合を優先することに後ろめたさを覚えず、
会いたい人に、遠慮なく会いたいと言えること、
それは、
昔の私には、たいそう難しいことだったから。

私たちの回りには、無限の宇宙が広がっていて、
どの方向に手を伸ばすこともできる。

私たちは、
会いたいと思うことも
会いたくないと思うこともできる。

言おうとすることも、
言わないでいることもできる。

やろうという選択も
やらないという選択もできる。

いまの私を形作っているのは、
そんな些細な、小さな選択の積み重ね。

そんな小さな選択の積み重ねの中で、
いつの間にか、たくさんの選択肢から
無難で安全な、自分の手に届きそうな選択肢しか
選ばないような癖をつけてしまっていたりする。

自分の未来は自分で決める。
そう思っていたはずなのに、
いつの間にか、笑われることを恐れ、
周りの顔色を窺っている。

失敗しないように、
転ばないように、
嫌われないように。

たくさんの選択肢があるのに
どの選択肢も不本意で窮屈。

それは一見、
自由なように見えるけど、
選択できないことで許される自由。
大きな安全ネットの中の自由。

もし、それが窮屈だと感じるなら、
その先にある本当の自由を
求め始めているのかもしれないね。

自分の本心から求めるこたえ。
そこに選択肢はない、究極の自由。

選択肢が多ければ自由でもないし、
少なければ不自由でもない。

私たちは、
考えているほど自由ではないし
感じているほど不自由ではない。

360度手を拡げることも
ここぞと決めた1本をつかみ取ることも
本心から決めたことであれば、
それは、自由。

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