意識高い系社畜が会社をやめてからの記録

思考、感情、こころの、点と点をつなぎ、本当の自分へ還る方法を探します。

原点回帰とこれから

ご無沙汰しております、ホリエです。

blog photo by horie sanae


新年から半月も過ぎてしまい、
本格的にヤベーことになって参りました。

何がって、試験です。

11月に中間試験があったのですが、
それをなんとか無事に潜り抜けた

と思ったら、
単位認定試験が迫って参りました。

んー、全然授業に追い付いていない…

なんかやたら慌ただしかったけど
なんだっけ…なにしてたっけ…
と、書き出してみました。
書き出して眺めるの大事。

フムフム、そうだよね。
お父さん入院してから
お見舞いも行ったりね。

今年のご不幸はやたら多かったし、
9月からほぼ週末が無かったんだよなぁ…
そして、親族の病気やなんかって
精神的ダメージでかいわ。

…うん、疲れていいよね。
とひとり納得。

自分と夫氏が
風邪ひとつ引かなかった健康体であった
のが、本当にありがたかった。

そして、
年末にお友達と話をしていて、
去年の今ごろはまだOLしてたことを
思い出しました。

そのお友達にも、
昨年の今ごろまだ出会っていない。
でも、きっと深く繋がっている人
と感じられる。

会社の戦友のようなお友達にも、
新しい家族が出来て、
きっと彼女も、一年前とは
全く違う感覚があるんじゃないかな。
でも、やっぱり繋がってるのを感じる。

新しい年になって、
つくづく実感するのは、
生活の環境も、会う人も、感じ方も、
一年前とは変わった。

いろんな関係性が壊れて
自分を見つめ直す機会が何回も訪れた。
いわば「原点回帰」。

けど、いま改めて、
「必要な関係と、きちんと繋がっている。」
という安心感がある。

その時その時に、出会ってきた方と、
共有した経験や知識は、
どれ一つとして無駄なんてなかった。
そう感じられる。

まだまだ立ち往生したり、
スタックしたり、あるんだと思う。
でも、そのひとつひとつの経験が
次の自分を育ててゆくプロセスとなる。
そう信じられることに、安堵してる。

目の前のできることを
ただ、ひたすらにやるしかない。

ですよね?

焦ったって仕方がないので、
出来る範囲でゆるゆるやりま~す。
せめて半分くらいの単位取りたいよ~。

「元気でね。」その一言で、20年来の親友と縁を切った。

それは唐突に、
全く予想もしない形でやってきた。

2016/12/13 blog photo by horie sanae

学生時代からの友人。
友人の少ない私にとっては
数少ない親友と呼べる人だった。

唐突に、

「あなたの夫と話をしたい。」
と連絡がきた。

なにこの不穏な雰囲気。
私をすっ飛ばす意味が分からなかったので、
「どうしたの?」
と聞いてみた。
(夫と彼女は数年前に一度会って、
酔った彼女は夫に暴言を吐いた…。)

「あなたに話をしても
理解してもらえないと思う。」
という返事。

私が理解できない話を夫にして、
なにがしたいのだろう。
私は混乱した。

そこから、しばしやり取りをして、

「あんな風に攻撃をされて
ものすごく傷ついた。
あなたは変わってしまった。」

と返事がきた。

思い返しても、
失礼なことを言った記憶もないし、
攻撃なんてしてるつもりもない。
いたって穏やかに時間を過ごした。
はず!?じゃなかったの?

そうしている間にも、
彼女のメッセージは怒りを増してゆく。

その場で言ってくれればいいのに。
どうして直接言ってくれなかったの。
その言葉を飲み込んで、

「もう会いたくない。」
という最後の言葉に

「わかったよ、元気でね。」
と返した。

その一言で、20年来の親友と縁を切った。

不思議なことに、本心では少し
…ほっとしていた。

「こういうことかぁ。」
やり取りで冷え切った心と体を癒そうと、
お風呂にお湯を張り、
香りのよいオイルを数滴落とした。

私はもう、
あの人が嫌い、この人が嫌い。
と言いながら、起こる出来事のすべてを
自分じゃない誰かのせいにする話を
延々と聞くのはつらい。

その昔、
「あなたが、本当のことを
自分の言葉で話し始めると
あなたを嫌いになる人がいるかもしれない。」

と、伝えてくれた方がいる。
その時はまだ「本当」がなにかも
何もわからなかったけど、
いまなら少しわかる。

私はもう、自分に隠し事はしない。
と決めた。

本心からの言葉を口にすると、
「一生懸命隠し事をしていた頃の私」
の方がよかった!!戻ってきて!!
という人が出てくるみたいです。

そうして、悪いことに大抵そういう人は
とても近しい人、例えば幼馴染や昔からの友人、
親や兄弟だったりして、
しかも、戻ってきて!という気持ちには嘘偽りもなく
最悪なことには、それは善意だったりする。

それはだって、その人たちには
その方が都合が良いからなんですわ、
私が「他人の感情に従ってばかりいる奴隷」
でいることの方が。

親や、身内に嫌われたくなんかない。
それも私の本心ではあります。
悩ましいところです。

でも、「嫌われたくない」に従うことは、
また自分の本心を巧妙に隠した
「他人の感情に従ってばかりいる奴隷」
に、逆戻り。

もう無理、
だって自分の本心知っちゃったもん。
戻りたくたって戻れないんだもん。

友達に嫌われることは、つらくて悲しいけど、
私は私で生きていくって決めた。そして、
温かいお湯に浸かりながらわんわん泣いた。

泣き疲れてラジオを付けたら
Don't Stop Believin'が流れてきた。

Don't stop believin'
Hold on to the feelin'
Streetlights, people

誰かがそれでいいよって、
背中を押してくれてるみたいだった。

あなたは、悪くない。

「もー、分煙してくれればいいのに!!」

久しぶりに会った親友は、唐突に言った。
隣に座った客が、
「すげーヘビーだったな。」
そう言ったのだそう。

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私は、片隅で聞いたかもしれないその台詞を、
心の中で反芻してみた。

「すげーヘビーだったな。」

それだけを聞いたら、
厳しいプロジェクトか、
なにか終わったイベントの、
もしかしたら
別れた女性との話かもしれない。

煙がきつかったな、という台詞だとは
正直わからないな、と思ったりした。

「灰皿が置いてある居酒屋で
タバコを吸ってはいけないの?」

彼女はもんやりと繰り返した。

「許可されている。だから、問題ない。
とは考えられないということよね?」
私は聞いた。

私なら、
ごめんねー、でもイヤなら出てってくれるー。
そう思う。

私は私のやりたいようにして、
共存できないなら、
どちらかが外せばいいだけ。
そこに「私のせい」という、
感情の色はつけない。

でも、彼女は
タバコを吸ってはいけなかったの?
迷惑をかけてしまったの?
わたしがいけないの?
そう感じてしまったのだ。

やりたいことをすると、
誰かに迷惑がかかる。
そう、無意識に信じ込んでいる。
そういうことだ。

社会に出たての頃にお世話になった上司は、
私より3歳ほど年上で、男運が悪かった。

「どうしてなの!?私が悪いの!?」
大抵は、隠そうともせずに浮気をされ、
怒鳴りつけては情緒不安定になって
しばらく会社に来ないことがよくあった。

どうして?なぜ?
私は大切にされないの?
愚痴ると、彼女はよくこう言った。

私は、
「あなたは、悪くない。」
という言葉を飲み込んだ。
たとえ、毎回浮気をする男を
みずから選び取っているとしても。

私もまた、人の事を言えない程度の
恋愛経験しか持ち合わせていなかったし、
二股をかけられていて、どうやら本命は
私ではないと気がついた矢先だった。

「あなたは、悪くない。」

飲み込んだその言葉は、
自分へと返ってきた。
そして、二番手のポジションに
甘んじている自分を慰めてくれた。

私は私の都合で生きているし、
みんな、その人の都合で生きている。
ただ、それだけだ。

「あなたは、悪くない。」

私は二股男と別れ、
まもなく会社をやめた。
私は、私を大事にするほうを選んだ。

それでもわたしは飯を炊く。

涙も鼻水も全開で、
泣きながら風呂を磨いていた。

2016/11/25 blog photo by horie sanae

心を整理したいときには
掃除をする。

掃き掃除より、拭き掃除がいい。
つるっつるに磨き上げると、
心もつるっつるになる気がする。

大切な人が、重要な局面にいるとき、
反射的に一歩身を引いてしまう。
これは、わたしが幼い頃に身に着けた癖。

今回も、わたしは反射的に
一歩引いてしまった。

そして、その挙句に
泣きながら風呂を磨く羽目に。

いや、みずからそれを選んだわけだけど、
言い訳が許されるならば、それは
本心から選んだわけではない。

 わたしは、必要とされていない、
  わたしがいると、邪魔になる、
   わたしは、仲間に入れない。
    わたしが生きていると、迷惑になる。

心の奥底に、そんな呪いがある。

そういうと、愛する友たちは、
そんなことない、と言って抱きしめてくれる。

でも、温かな言葉と抱擁にも
負けないくらいの強固なその呪いは、
ずっと、わたしの心の奥底にこびりついている。

その呪いが、わたしの邪魔をする。
選びたくもない選択肢を、選ばせるのだ。

わかった、わかったよ。
そこにその呪いがあるのは、よくわかった。

けれども、これはわたしの人生だから、
よく聞くのだ、呪いよ。

わたしはもう、
やらないことでの、後悔はしない。
自分のやりたいように、やらせていただく。

そうして、わたしは米を炊く。
私は、母の忌み嫌った「飯炊き女」でしかない。

出来ることなんか、なにもないけれど、
おにぎり握りしめて病院に戻った。

一歩、前に。
つらいとき、困ったときは、
一歩前に出よう。

気がつかなかったことに、
気づけるはずだから。

見えなかったことが、
見えてくるはずだから。

一歩、前に出て、
次の自分にチャンスをあげよう。

その一歩が、また次の一歩への
勇気を与えてくれるはずだから。

そうすると、
きっと、次に見える景色は、
新しい景色に変わっているはずだから。

~聞きたい、言いたい、などこちらからどうぞ~

「自分の内面を見る」ってなにしてるの?

「自分と向き合う」とか
「自分の内面を見る」とか、
なにしてるの?
と、聞かれました。

2016/11/16/ blog photo by horie sanae

(写真は、2012年チェンマイのコムローイ上げ。
先日14日がロイクラトンだという事で、アップ♪)

わたしは、
なんでそんなことを聞きたいの?
と、意地悪なことに、
質問に質問で返答。

なんか、
これじゃいけないって
思ってるけど、
どうしていいかわかんないの。
誰も教えてくれないし、
聞ける友達もいないし、
セミナーや講座でも
ちょっと違って…。

それはレーベンスヴェンデといってねぇ、
覚えたての心理学を披露したくなりますが
ぐっとこらえます。

それで、答えは自分に聞かないと
わからないと、そういうこと?

彼女は、(珍しく真剣に)頷きます。

人って、ちゃんと
自分が答えを知ってると
知ってるんですよねぇ。
なんだか、感動しますよねぇ。

「自分と向き合う」とか
「自分の内面を見る」とか、
たしかに、具体的に何をしてるのか
わかりにくいかもしれません。

やってることは単純に
自分の考えを客観的に見直し、
自分の本心を探っていく。

これだけ。

例えば
「これじゃいけない」
って思ってるなら、

パターン(1)
いつからそう思ってる?
と、自問してみます。

実は、結構前から思ってるなぁ。
だったり、何かのきっかけが
思い出されるかもしれない。

結構前からだとしたら、
この感じ経験したのいつかなぁ、
大学進学の時?
あ、中学校でもあった。
みたいに記憶を遡っていきます。

すると、結構昔の
その原因がみつかったりします。

そこから、あの時は
こうしたかったんだなー。
みたいなことがきっかけで、
本心に近づくことがあります。

他のパターンだと、

パターン(2)
「これじゃいけない」
なら、どうしたい?
って聞いてみる方法。

------今のままじゃ、ダメなのはわかった。
じゃ、何がダメなの?

なんかダメだっていう
漠然とした不安があるの。

------不安、不安はどんな不安だろうね?

今のままじゃダメになっちゃうような…
そんな不安。

不安も、怒りと似ていて、
必ずその後ろには、
親玉みたいな〈恐怖〉がいます。

それを自分の感じ方を頼りに
探っていくことで、
何を怖がっていたのか、
本心を探ってゆきます。

自分の考えを客観的に見直し、
自分の本心を探っていく。

ある考えを客観的に見ようとすると、
それを邪魔する思考があることにも
気がついたりします。

そして、なかなか
自分の本心を探っていくのは
口で言うほど単純で簡単な
作業ではありません。

プロの手を借りたほうが
当然スムーズですし
私自信も、カウンセラーの
手を借りています。

でも、敢えて
そこは、敢えて、
最初、ひとりで向き合ってみてほしい。

自分で自分と向き合う事を、
自分にゆるして上げてほしい。

だってそれは、あなたの
本心からの願いであるはずだから。

本心からの願いを、
ひとつ自分で叶えてほしい。

あなたが、あなた自身を愛する
その一歩を踏み出す自由を
あなた自身が与えて欲しい

それは、きっと
大きな一歩となるはずだから。

~聞きたい、言いたい、などこちらからどうぞ~



これが、自由って意味だったんだね。

「自由でいいですよね。」
って、言われることが多かった。

自分でも
「わたしは自由~♪」って思ってきた。
ずっとずっと。

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それが40を目前に、
なんだかしんどくなってきた。

自由だ!
好きなようにしていいんだ!

って思ってるのに、
羽ばたいても羽ばたいても
疲れと焦りだけがのしかかって
地面に引き戻される。
そんな日々の繰り返し。

だって、
あの頃望んでた自由は、逃避。

社会からの?
親からの?
他人の視線からの?

批判をされないために
敢えて、尖ったことをする。

批判をされることを承知で、
批判されることをする。

そして、それを
(それも大事な経験だったけど)
自由だと勘違いしてた。

バリバリに他人軸。
それすらも気がついてなかった。

そして、力の限り羽ばたいてた。

それもいつしか力尽き、地面に落ちた。
羽の動かし方もわからなくなっていた。

ま、そんなこともあるよねぇ。
段々年をとるんだもん。

重ければ脱げばいいし、
疲れるなら体力つけるしかない。

変わっていく自分に
素直でいればいいんだよね。

変わっていくことに、
自然でいることに、逆らってばかりいると
なんだか、とってもつらいことになっていく。

成長も自然。
であれば、
老いもまた、自然。

自分の心と体の声をきちんときいて
その声に従っていればいい。

身体の求める食事をして、
身体の求める運動をする。

心が求める本を読んで、
心が求めるお友達と会う。

すっごく素直に生きてる、
そしてそれが、すっごく自然。

すっごく素直で、すっごく自然。
これが、自由って意味だったんだね。

~聞きたい、言いたい、などこちらからどうぞ~

秋から冬の夕暮れ空に思うこと。

インスタグラムで
夕暮れ時の写真を
よく上げているからか

夕焼けが好きなのですね
と、たまに声を
かけて頂きます。

2016/11/03 blog photo by horie sanae

そうです。
好きです、夕暮れが。

夕焼けが好きかと言われると
ちょっと違う気がしていて、
〈夕暮れ時〉が好き
と、いう方がしっくりきます。

夕暮れ時には、
日常であまり
感じることができない

地球の丸さや
宇宙の広さ

わたくしたちも
星の一部なんだと......

そんなことを
感じられるように
思うのです。

仕事してたり、
料理してたり、
人と会ってたり、

そういった日常では
感じられない
拡がり。

とか、

とおいとおい彼方との
つながり。

とか。

普段の生活を
しているとき、

わたくしたちは、
あえて、その
拡がりやつながりを、

〈感じないように〉
しているのではないか
と、思ったりします。

なぜでしょうね。

わたくしは、
怖いのではないかと
想像します。

ヒトが森から地上へ
降り立った時、
もっともっと、
空は広く、
闇は深かった。

いま、
夜になっても
都市に居る限り、
道は明るく、

わたくしたちは、
闇に飲み込まれるような
〈恐怖〉や、

広すぎて身の置き所のない
〈恐怖〉を、
経験することはあまりない。

ですが、
昔のヒトたちは、
闇に潜む敵や、
魔物に怯え

朝の光を待ちながら
生きていたかもしれない。

太刀打ちできない
宇宙の法則があり、
それに逆らい
生きることは出来ない。

太古のヒトは、もっと
宇宙の中にいる
その事実を実感しながら
生きていたのでは
ないだろうかと思うのです。

夕暮れに空に目をやると、

地球がまぎれもなく
ただ、星のひとつとして
太陽の周りにあること。

ひろいひろい宇宙のなかに
ただ、ただ、存在していること。

そして、
奇跡のようにいまここに
存在する自分。

なんだか、ちっぽけで
素晴らしいなぁ。

そんなことを感じるのです。

わたくしたちは
限りなく自由で、
限りなくちっぽけ。

そして、いまここが
愛に満たされている。

それを感じたくて、
夕暮れの写真を撮っているのかも
しれません。

horie sanae(@u.shima) Instagram写真と動画


~聞きたい、言いたい、などこちらからどうぞ~