14日目:叩く人、正義と恐怖。
久々に暇なものだから、普段見ることのない検索エンジン系ニュースやら見てるのですが、やたらとスケープゴートを見つけては引きずり出して石を投げつけている光景がやたらと眼に入ってきますね。やはり大勢の集まる所に首を突っ込むと、ろくなことがないな。
ネットを徘徊していると、悪意や誹謗中傷などに出会う確率が高い。それは特に最近の傾向でもないのでしょうけど、それにしても最近のネットバッシングにはなにやら違和感を覚えます。自分の主義主張というよりは、叩きたくて叩いてる、もはや叩く事が目的。のような印象すら持ってしまうのです。
叩いている当人達は「正義」を笠に着て叩かれる方が悪いのだと言わんばかり。そこに「寛容」の影も見当たりません。
スケープゴートはwikipediaによると「原義としてはヘブライ聖書において、贖罪の日に人々の苦難や行ってきた罪を負わせて荒野に放した山羊を指した。」
だそうで、これまさに不倫した芸能人や、カップ麺のCMまで叩く人たちは、自分の内側の不満を叩きやすい人に叩きつけてるということなのでしょう。
自分に関係のない人だし、悪いことしたのだから何言って叩いてもいい。
そんな感じでしょうか?
でも、自分に関係のないことなのに、どうして叩きたくなるのでしょう?
見なければいいですよね。関係ないのですもの。
この叩く人の根底にあるのは「怒り」とか「恐怖」かもしれないです。
わたくし達は、社会的なルールや規範に則り、正しいとされる行動をしなければいけないと考えている(大抵は)。
それは、大人になる過程で自分で学び取ってきた経験かもしれないし、親から教えられてきた教えである場合もある。成り立ちはいろいろあるけど、大体ルールには共同体を上手に運営していくための意味と目的がある。
叩く人たち、それなりに社会で成功してたりするのではないかな、と想像します。
自分が大切にしてきた「ルール」を守らない人がいる、しかも世の中で目立つ芸能人が。俺が守ってきたルールを(ひいては俺を)馬鹿にするのか。
やたらと怒りを爆発させる人、いますよね。
あれ、ずいぶんと感情をコントロールできない人なんだなぁ、と思っていましたが、その怒りの根底にあるものが「恐怖」だとしたら、ちょっと理解できるかも、と思います。「恐怖」は、なかなかコントロールしにくいですよね。
ひょっとすると、叩く人というのは、
「自分の価値観を脅かす対象を恐怖のあまりに叩きつけることで安心を得ている人。」
なのかもしれません。
価値観も多様化して、色々な生活を選ぶ事が出来るようになって、一昔前の考え方に固執していると、窮屈なことはたくさんあるのだと思います。
その窮屈なことを手放していけるか、が「寛容さ」の肝であるように考えています。
みなが、恐怖や怒りを手放して、ゆったり優しく生きられるようになればいいのにね。
ここまで読んで「甘いこと、言ってるな」と思ったあなた。
それ、あなたが自分に掛けてる呪いですよ(自戒を込めて)。
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