意識高い系社畜が会社をやめてからの記録

思考、感情、こころの、点と点をつなぎ、本当の自分へ還る方法を探します。

27日目:些末なところからの価値観の変革 炊飯器を疑え。

我が家には炊飯器がありません。

自分にとりましては、いたって普通のことなのですが、ここ数年やたらとビックリされることが多くて、珍しいのかもと気が付き始めた次第です。
人によっては、炊飯器なくてどうやってお米炊いてるの?と聞かれる方もいらっしゃいますが、鍋です。普通の片手鍋です。

時間があれば、土鍋で雰囲気よく炊くこともありますが、無印のテフロンコートの鍋(当時は無印、テフロン鍋がありました、ここ最近はステンレス鍋しか出してないようですので面倒(持ち手そのまま握れないのよね))です。
よく吹きこぼれとか火加減が面倒と伺うのですが、最初っから強火でガンガン炊き、沸騰し始めたら蓋取っちゃいます。コツをつかむと、結構いい加減でもおいしく炊けますし、なにより早い。(蓋つきのお鍋の炊き方であれば、こちらをご参考にどうぞ。)www.sirogohan.com

そもそも、実家に炊飯器がなかったのです。
一人暮らしを始めた当初、三合炊きの文化鍋を買って何の疑問も持たないまま、その鍋でお米を炊いていました。
ですので、「文化鍋で米を炊く」行為は、いたって普通のことと記憶してきているのです。
その後、米を炊く以外に使用しない文化鍋を廃止し、普通の鍋に切り替えたわけですが、「米を炊くのは鍋である」という考えはそのまま引き継がれております。

いわば、
「米を炊くのは鍋である」
というのが、経験的に獲得してきているわたくしの価値観なわけです。

それに対して「米を炊くのは炊飯器である」という価値観の方もいらっしゃいます。
炊飯器が日本国内で製品化されているのは、1956年に松下電器から。
以降十年間に渡り、各メーカーが機能を追加し電気炊飯器を製品化しています。保温機能を備えた炊飯器が発売されたのが1967年三菱電機からということで、なんだ最近じゃないか、と思ったあなたはわたくしと同世代。半世紀も昔の話でした。こりゃ、鍋で米炊けるって知らない若い方がいても不思議じゃないわ。

この、生まれた時から「米を炊くのは炊飯器」というのもその方の価値観です。最近では平成二桁生まれはフリック入力しない、なんて話が流れましたよね。これも価値観ですね。あたりまえにそう思っていること。

わたくしにとって「炊飯器」の価値はむっちゃ低いことがお分かりいただけると思います。だって、必要ないのですもの。そう、わたくしの優先順位は「炊飯器<鍋」です。
炊飯器、でかいし。他の料理に使えないし(ケーキ?蒸し鶏?やらないです。)。電気なかったら使えないしね。

炊飯器などの些末な事象ではあまり実感されませんが、これが「人生における大事なこと」あればいかがでしょう。

例えば、
人生において「仕事の成功」が何より大事であるAさんと、
人生において「家族との幸せな時間」が何より大事であるBさん。
「価値観の違い」そこらへんでよく聞く話ですね。
この二人がうまくいくためには、工夫が必要ですよね。

Aさん対Bさんという対話であれば、ある程度わかりやすいのですが、人間は複雑にできていて、このAさん対Bさんの対話をひとりの人格の中で行うことがあります。
これ、しんどいのですよ、ほんとに。
「仕事もきちんとこなしたい、けど家族においしいものをちゃんと手作りしたい。体に良いものだけを食べてほしいけど、食費にそこまでかけてられない!」
同時進行で一気にこのくらいは頭に浮かびますよね。
自分のなかがぐちゃぐちゃになってて、もう考えらえない!!なんてこと言う人、このケースがあてはまる場合が多いように感じています。

そしてさらに面倒なことに、大抵の場合は、自分の価値観などあまり意識せず行動しているのですよね。毎回毎回炊飯器を使うことに対して、わざわざ疑問を投げかけていられないものです、あたりまえですが。それ実は、もっとやっかいなのですけどね。

しかしながら、炊飯器に疑問を投げかけるってことも、必要な時があるかもしれません。価値観は、自分の判断基準のベースとなる考え方で、あまり表面化しません。
ですので、多くの人は言語化して考えることをあまりせず、他の人も同じような判断基準で行動しているだろう。という「妄想」によって行動をしていることがままあるのです。

「妄想」とあえて書きました。

「家族」が大事ー。
「仕事のやりがい」が大事ー。
なんとなく雑誌やテレビで見聞きした大雑把な考えを、ろくに脳で咀嚼もせずに自分の価値観として、ひいては世間一般の価値観と勘違いしてその考え方を押し付けてくる方、いますよねぇ(おっと、毒が)。

一生懸命やってるけど、なんか違う。
目的は達したけど、なんだか満足感が足りない。
もっともっとやらなきゃダメなの?

そういうのを感じたタイミングで、まず「炊飯器」を疑ってほしいのです。
あなたの部屋にも必ずやあるだろう炊飯器。必要かなんて考えたこともない炊飯器。電子レンジでもいいや(これも我が家にはありません)。

「これ」わたくしにとって、どうしてもゆずれない大事なもの?

そう問うてみてほしいのです。
なぜならあなたにとって炊飯器は、もう古くなった過去の「思い」だったり、どこかで拾ってきた誰かの「妄想」かもしれないからです。

「この(価値観)は、自分にとって、どうしてもゆずれない大事な考え方?」

(価値観)は、目標、目的、意義、考え方、ものの見方、などと言い換えてください。
そう自分に問うことで、きっと自分が大切にしているモノゴトが輪郭をもって現れると思います。

まず、手始めにやってみて頂きたいこととしては、価値観の優先順位リストを作ることです。作り方をお伝えしますね。

1.これは大事にしている、と思うものをできるだけ短い言葉で10個リストアップします。例えば
・売り上げ達成
・家族との時間
・円満な人間関係
・健康
・旅行
などなど

2.上から1番と2番を比較し、重要度を比べます。
「売り上げ達成」と「家族との時間」なら、今は「売り上げ達成」のほうが重要なんだよ。とか。
「売り上げ達成」を暫定1位にしたら次は「家族との時間」と「円満な人間関係」を比べます。
「円満な人間関係」に「家族との時間」も含まれるから「円満な人間関係」のほうが大事かな。という感じで優先順位をつけていきます。

3.最後にリストを上から順に読み上げてみましょう。
耳で聞いてみて違和感がなければ、リスト完成です。

現在のわたくしのリストは
1.家族
2.健康
3.楽しむ
4.学び
5.休み

...おおむね大事にできていると思います。
(人によってはビックリするようなリストかもしれませんね)

この人生の価値観を満たされずに生きていくことは、とても苦しくしんどいことです。
ですが、他のひとのために良かれと、知らずしらずに自分の価値観をねじ曲げてしまうことも、よくある話なのです。

あなたが普通だと思っている炊飯器、疑ってみてはいかがですか?
お鍋で炊いたお米、おいしいですよ。

~聞きたい、言いたい、などこちらからどうぞ~