41日目:断捨離に失敗する心
会社を辞めてから41日目が経過いたしました。
さて、まとまったお休みがあると、にぎわってくる断捨離方面の会話。お部屋きれいにするのはいいですよね、すっきりして身軽な気分になりますよね。わたくしも四月の一か月をほぼ断捨離で過ごしました。
とはいいつつ、日本に帰国して早々の断捨離では一度失敗しているのです。全然片付けられなかった。
日本の天候気候をすっかり忘れてしまって、今の生活で何が必要になるのかがわからなかったのですよね。そのため、実際には使わないものまで取っておき、収納しきれない段ボールをそのまま部屋に積み上げた状態でした。
似た経験をなさったという方たまにお会いします、または断捨離しても元に戻ったという経験の方。
わたくしの経験を元に断言いたしますと、
断捨離を、片付け法と思ってやると失敗してしまいます。
なぜかといいますと、断捨離は「モノへの執着心を手放す」ために行う作業であり「心と向き合う」方法です。ぶっちゃけると「修行」なのであって、収納法とかではないのです。
ですので、心と向き合えていなければ「モノへの執着」を心に残したまま。心が変わらないままですと、またモノをため込み、すぐに同じお部屋の状態となってしまいます。
そうなのです、断捨離は「自分のあり方」「もののとらえ方」を変える訓練なのです。
そもそも、モノを捨てられない心は、モノとの関わり以前の根源的な要因があるケースが多いのです。それは例えば、
- なくなることへの「不安」
- 無いことで、困るのではないかという「将来への恐怖」
そして、それらの要因の奥底に「なにをやってもダメなわたくし」だったり「どうせうまくいかないわたくし」が居すわってたりする場合もあります(そのお話しはまた置いておいて)。
しかも日本人はその上に「もったいないの魔法」とか「まだ使えるの呪文」に、かなり強固に心が汚染されてしまっていて、その「魔法」や「呪文」から解き放たれるのは、なかなか困難だったりするのですよね(わかります)。
でもね、そんな不安や恐怖から、身の回りを必要ないモノで溢れさせているということは、自分の回りを「不安」や「恐怖」で埋めているようなもの。
その空間、全然心地よくないですよね。
部屋にモノがあふれてていや!
でも、もったいなくて捨てられない!
高かったのに!まだ使えるのに!
この心のまま断捨離を始めても、どれも捨てられません。
それは、要・不要の判断基準「価値観」が整理されていないからです。
先日こんな記事を書きました。
27日目:些末なところからの価値観の変革 炊飯器を疑え。 - 意識高い系社畜が会社を辞めた日からの記録
ここでお伝えしたかったのは、
「常識」「あたりまえ」と思い込んでいる価値観を見直してみませんか?
ということでした。
その「まだ使えるのに」は、本当に必要ですか?
その「高かったのに」が、お部屋からなくなると寂しいですか?
きっと、一時の流行で買ったバッグも、お土産のブランド化粧品も、引き出物のカップも、使ってないならきっと必要ありませんし、使っていないなら好きでもないはずです。もったいないといいつつ、まったく大切にしていないわけです。
価値観というのは「大事なことの優先順位」です。
これが定まらないと要・不要の判断ができません。
こんまりさんの片付けの魔法が、センセーショナルだったのは、この、要・不要の判断を「モノ」にときめくかどうかで決める、という基準ですね。
本当に「好き」なものだけを部屋に置く。「必要」だけではないところに秘訣があります。
お部屋は、住んでいる方をよく反映しているなーと思います。
玄関脇に、自作のかわいい雑貨が並んでいるお部屋、広々としたダイニングテーブルの真ん中に、お子様の作った色とりどりのオブジェが並んでいるお部屋、大きな本棚いっぱいに美術書の並ぶお部屋。生活に必ずしも必要でないモノの方が、雄弁にその人となりを語るものだなぁと感心して拝見しています。
お部屋のなかの、ひとつひとつのものが、あなたを表現しているとしたら、どんなお部屋にしたいですか?
この質問はすなわち「あなたは、どんな人ですか?」という質問に他なりません。
あなたにとって「大事なこと」はなんですか?
あなたの「大事なこと」が、ちゃんと大事にされているお部屋ですか?
あなたにとっての「大事なこと」を大事に扱う。それだけで、断捨離に失敗することはないはずです。そしてそのお部屋は、あなた自身が大事にされる、とても幸せなお部屋になるのだと思います。
~聞きたい、言いたい、などこちらからどうぞ~