意識高い系社畜が会社をやめてからの記録

思考、感情、こころの、点と点をつなぎ、本当の自分へ還る方法を探します。

ひどい言葉を投げつけられたとき

日数カウントを止めました。
三か月たてば別の人。
ごきげんいかがですか?

2016/07/22 blog photo by horiesanae

起きていることは常に正しく、
意味を持たせているのは自分です。

出来事は、出来事として、
わたくしの周りで起こり続けます。

でも、それだけです。

出来事をどう捉えるかは、
自分次第。

たとえば、
仕事でミスをしたことで、
「いつになったらちゃんとできるの?」
と、いう言葉に傷つけられた。
とします。

自分はどなたかに傷つけられた。
それは、本当でしょうか?

いいえ。

ほかの誰にも
傷つけることなど出来ません。
出来るのは、自分だけです。

「いつになっても、
ちゃんと仕事ができない
ダメなわたくし。」

と、共感して、
納得して、
受け入れてしまった、
自分だけが、
自分を傷つけることが
出来てしまうのです。

ミスした自分=ダメな自分
ではないのです。

「ミスした」という出来事に、
ダメな自分までくっつけているのは
自分です。

そこは、受け入れなくても、
良いのです。

ミスしたけど素敵で愛されるわたくし。
ミスしてダメで生きてる価値のないわたくし。

どちらも信じてよいはずです。

でも、なぜかダメな自分の方が受け入れやすい。
なぜ、否定的な言葉は受け入れられて、
肯定的な言葉は受け入れられないのでしょう?

それは、心の奥底で、
本当に自分は、無力でダメで
何もできないバカな奴だって
信じてるから、
なのですよ

ね…。

さて、ミスをしました。
その次の行動を決めるのは
自分の意思。

起きた出来事は、変えられないけど
その次の行動は、変えられます。

そして、次に出来た時、
出来なかった記憶も、書き換わるのです。

そうした小さな積み上げが、
未来を書き換えてゆきます。

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